受験のその後こそ大事。予備校の枠組みを超えて、子どもたちが一人ひとりが夢を持てる社会を導いていきたい。
今回はサイトからの取材依頼をうけてのインタビューでした。
事前の情報としては、枠に囚われず広い視野で活動・展開している面白い予備校がある!という事だけでしたが、実際、代表の大岩さんの話はとても刺激的で面白かったです。
今回のインタビュー内容は、予備校や教育の事だけじゃなく、他の事にも置き換えて考えられる内容だと思いますので、是非多くの方に読んで頂けると幸いです。
取材日:2018.01.23 インタビュワー:黒瀬 圭の詳細はコチラ
大岩さん、今日はよろしくお願いいたします。
出身はどちらになりますか?
大岩 はい。よろしくお願いします。
熊本県の人吉市っていうところで生まれて、高校までは熊本ですね。
大学は大阪の方なんですが、大学で一番しっかりやってたのはバンド活動で。
バンド活動をしながら、20代は大学院とか長く大学にいる形で籍を置いて、アルバイトで塾講師などもやってました。
音楽は、一応自分は創作活動をやっているつもりだったから、「教養の有る表現をしたい」というのがあって、20代の頃は映画を沢山見たり、本を沢山読んだり。
そういう時代を過ごしてました。
なるほど。「クリエイティブで有りつつ、教養の有る表現」っていうのは何だか新鮮に聞こえます。
大岩 で、その20代の最後の年ぐらいに、次の人生を定めないといけないっていうタイミングが来たんですね。
それまでは、中学受験とか高校受験がメインの塾で働いていたんですけれども、僕らが受験生の頃、90年代の時とかは子供も多かったし、大学受験がすごく盛んで、予備校の先生も色々有名な先生がいたりして、予備校最盛期の時代だったんですよ。
そういう事もあって、塾をやるよりは大学受験予備校の先生になろうっていう事で、予備校で働き始めました。
一番その時、科目として得意だったのが日本史だったので、まずは非常勤として。
そうなんですね。沖縄に来たキッカケというのは?
大岩 たまたまね。
ちょっと仕事を増やさないといけないっていう事で、当時まだあまり進化していないガラケーで、ネットを見ていた時に、なぜかよくわからないけど、そこに沖縄の予備校の募集があって。
ちゅらさんで知ってるぐらいで、特に沖縄に対して強い興味があったわけじゃなく。
観光で行ったことさえ無かったんだけど。
29歳から30歳になる時で、ひとつの人生の転機として「また新しいところでやってみるのも少し有りかな?」って思ったんですよ。
環境を大きく変えるのは転機として分かりやすいですよね。
大岩 それで面接会場に行ったんですけど、当時の僕の格好っていうのは、所謂ミュージシャンの格好で・・。
一応ジャケットを羽織ってはいたんですけど、髪もくるくるパーマをかけていて、とても就職面接に行くような感じではなかったんですね。
ただ、就職の面接に行ったら、その面接官が僕より汚い格好をしてたから(笑)
で、話が盛り上がったんですね。
黒瀬 なるほど(笑)
大岩 面接官は途中、タバコとかも吸いだしてたから酷い状態なんですけど。
1時間半ぐらい話してたと思いますが、それで盛り上がって沖縄に来ることになりました。
黒瀬 ロックな面接ですね(笑)
面接というよりは、対話だったのかもしれないですが。
とにかく、通じ合うものが合ったんですね!
大岩 面接その年の末に予備校の社長さんと会って話をして、「来年3月1日から入社だ。」っていう事になったんですよ。
それで、2月の末に沖縄に来て、予備校に「明日からよろしくお願いします」って挨拶に行ったんですが、中が大変なことになってて。
黒瀬 おっと、何があったんですか?
(炎上中、中略)
おー。さすがに、これは文字には起こせない程の激動ですね。 とにかく2年間の紆余曲折があったと・・・(笑)
大岩 そうですね。
結局、僕を面談した方が社長を務める形で、新しい予備校「Sゼミ」を立ち上げる事になったんです。
ただ、ゼロからの立ち上げなので、社長も尽力はしたんですけど、結局講師として集まってきたのはね、やっぱり僕も含めキャリアが少ない講師がほとんどでしたね。
僕はとりあえず社会ができたので、日本史、世界史、地理、公民の全部をやってくれっていう事だったんですけど、国語の先生になる予定の講師がドタキャンしよったんですね。
それで予備校の立ち上げの時期、センター試験の3ヶ月前ぐらいに、「お前国語やれ!」って言う風に言われて。
国語っていうのは現代文と古文、漢文の全てという事ですけど。
そこから勉強し始めました。
黒瀬 かなり急ですね(汗)でもやるしか無い状況。
大岩 それで、力試しにセンター試験を受けたんですけど、割と出来ちゃったんですよね。
なんで出来たかって言うと、20代に哲学的な本とかをすごく熱心に読んでたので、現代文とかだと、ちょっと読むと割と解っちゃう。
大体こういう事なんだろうなっていうのが最初から予測できるぐらいの教養が自分に備わっていて、結果としてセンター試験も200点満点中197点を取ったから、これなら出来るなって感じで始めて。
国語の講師としては全く素人なんだけど、そんな感じで始めたんですよ。
立ち上げ時期の生徒の確保はどういう感じだったんですか?
大岩 時期も時期だったので、センター試験終わった時に、センターの二次対策を無料でやりますよっていう事だったり。
あと、社長のアイデアで、受験生向けにおにぎりを出すことになって。
おにぎりに釣られて来るんですよ。
高校も近くて、下校のルートでもあったんだけど、おにぎりがあるからちょっと部活帰りに寄って行こうって事で、結構来るんですよ。
で、「はい!君、入塾〜」みたいな感じでね(笑)
黒瀬 おにぎりってシンプルだけど、なかなか出ない発想ですね(笑)
大岩 キャリアの浅い講師ばかりで、おんぼろ校舎だったんだけど、なぜか3月、4月ぐらいに入塾者がどんどん増えていって、200名をすぐ超えて。
大成功したんですよ。
そんなにお金も使ってないのに、大成功して。
最終的に1年目で300人ぐらい集まったんですけど、それはそれで責任が重いというか。
国語を全く教えたことないのに、そこでもう教壇に立つ訳じゃないですか?
教える事に関して頼れる人はいませんし、生徒に「僕、一年目だからよろしくね」みたいに絶対言えない訳で。
そういった責任感をすごく感じながら、国語と社会を教えて。
もう一年目は本当に、僕も毎日勉強勉強っていう形で知識を詰め込んでましたね。
実際、スタッフが少ないところから始まったから、それこそ生徒の入塾に関して営業が出来ないといけないし、営業的なアプローチをするっていう事になると、塾がどういう性格をしていて、どういう特徴があって、そこにいるスタッフの特徴を全部掴まないといけないし。
「他の予備校と、どう違うのか?」っていうのを話せないといけないじゃないですか?
それで、色んなトータルな力っていうのが身についたっていうのかな。
1年目はそういう時期でした。
その後、2年目、3年目と順調に拡大していったんですか?
大岩 そうですね。
新しく立ち上げたSゼミがどんどん大きくなって、元々いた予備校に実績的にも3年目に追いついたんですけど。
「何でそうなったのかな?」って考えると・・・
本当に、何も無いですよ。
若手講師ばっかりですし、まあ、僕以外、みんなすごかったけど(笑)
おんぼろ校舎で、実際トイレが汚いって言って入らない子がいたぐらい。
「おにぎり」ぐらいですよ、それと「熱意」
その熱意がスゴかったんですけど。
もう一つ・・・。
社長が前のところから理念的なものを持ってきたんじゃないかな?って。
元の予備校は普通の商売をやる予備校になって、S解は「何か熱がある、中にソウルがある」、そういう予備校として短い間に大きくなっていったんですよね。
なるほど。理念と実際の行動だったり泥臭い部分の両方が混ざる事で熱が生まれるのかもしれないですね。
大岩 そういう中でね。
僕らは若手だったんだけど、社長は良くも悪くも人に任せるタイプの人だったし、自分達も経験が浅いからこそ試行錯誤を重ねて。
だから2年目、3年目ぐらいになると4、5人の講師で予備校を回していくようになったんですよね。
最初1年目からそうだったけれども、「Sゼミって何や?」みたいな。
「予備校って何をしないといけないの?」とか、そういう理念を持って仕事ができた。
その時に、僕は社長が大事にしていた理念的な事がすごく参考になった。
一つ言葉としてあるのは・・。
別にそんな難しいことじゃないけど、「正しい事をやり続けることが重要なんだ」っていうのをよく社長が言うんですよ。
どういうことかって言うと、やっぱり我々が仕事をするっていう時には、何らかの利益を出さないといけない。
別にこれは商売だけじゃなくて、我々は何らかの欲望っていうものがあって、その欲望に従って何か行動する。
でも、ちょっと待ってみてよ。
何が正しいか?何が善なのか?っていうのは、もちろん一人一人違ってる部分もあるけれども、それについてよく吟味して行動することが結果として利益をもたらす
っていう事じゃないのかなって思いながら、ずっと仕事をしてた。
目先の利益では損するかもしれないけど、先々を見て、こういう風にいくべきだっていう所から考えて行動する。
上手くいかないこともあるんだけど、でも先々は信頼を勝ち取って、みんなもやっぱり良いものを望んでるはずだから、良いものを望んでるんだったら「良い事」っていうのを実現することが、先々には利益になる。
という事が、一番僕のインスピレーションになったんです。。
そういう言葉とかを参考にしながら、実際の予備校っていうのを自分達が中心になって回していったっていう事でしたね。
「正しい」とか「良いもの」って普遍的なものを捉えるのは難しいですけど、しっかり自分で吟味するって事が大切なんですね。
大岩 予備校って、基本的に大学受験の予備校であって、親御さんも子供も「大学に合格したい」という風に思っていて、予備校としては「合格させてあげるよ、立派な授業をして」っていう宣伝をするんだけど。
でも、ちょっと待てよって。
特に沖縄は勉強できたら医学科っていう子が多いんですよ。
そこに囚われて、深く考えずにダラダラと浪人生活を続けてる人にはちょっと考えて欲しいな・・って思うんですけど。
大学受験って言うけれども、その大学受験の先に何があるのか?っていうのを、僕らは同時に子供達に提示する必要がある。
特に、子供達がなかなか将来の夢っていうのを抱きにくい状況にあるんじゃないか?
ただエスカレーター式で勉強してきただけの進学校の子たちとか、或いは、そもそも夢さえ持てないような子供達も沢山いる。
実際、予備校って、一定程度の経済水準がある人が来るんですよね。
黒瀬 確かに、そうですね。
大岩 僕らも料金は出来るだけ高くないようにしようっていう風に考えるんだけど、それでも僕は同時に働く人が大事だから、働く人たちに対して良い待遇を与えないといけないし、子供達に対して沢山の人を投下したいと思うから、やっぱりどうしても経費が要る。
だからせめぎ合い。
経費は出るし、働く人も大事で、子供達にも出来るだけ沢山の人に来て欲しいので、そこのせめぎ合いで料金を決めていて。
それでも安くないんですよ、沖縄の人にとっては。
50万円程度の料金を設定していて。
なるほど。その中で、料金を抑えるための工夫もあるんですか?
大岩 一つは特待制度を設けないっていう形で、一切、みんな平等。
これが安く出来る理由の一つで。
今は、もう合格実績を上げようと思うならば、医学科に受かりそうな子を特待生として学費免除で集めてきて・・・っていう形を取るんですよね。
沖縄に限らず、どこの予備校もそれをやるから、僕はそれに対するカウンターで、「特待生制度はやるべきではない。まず、みんなを平等に見るべき」っていう方針をとっています。
黒瀬 あー、確かにそうですよね。
自分も当時家庭環境的にお金があまり無かったこともあって、予備校はテストで成績良ければ学費免除にしてくれる所に通ってました。
大岩 特待の子たちは、自分達でやるんだからほっといてもいいんですよ。
そこに手厚く人材をかける。
金の卵だから、経営的にはそれが吉なのかもしれないけど。
正しくない、それは・・。
そこに投下して。
一般の生徒たちは、大勢の授業を受けて、それで終わりですよ。
僕たちはそれじゃダメだっていうのわかってたから、Sゼミ時代から、みんな手厚くみようっていうスタイルで、何とか競争にも負けないようにして、且つ良い教育をどうやって両立できるか?って考え続けていて、今の「グレイトヴォヤージュ」では、完全に平等になっていて。
そういう、僕たちが問題視している一般的な予備校の料金体系ってものを壊したい。
完全に壊すには、みんなが一旦集まってくれる必要があるかなって思ってるんだけど。
グレイトヴォヤージュだけが特別という事じゃなくて、それをスタンダードにしたいって事ですね!
大岩 そうですね。
まぁ、それ以外にも色々あるんですよ、沖縄の問題。
子ども達の夢っていうのが、すごく乏しい。
将来像がすごく限られていて。
医師になりたい、医師になれないんだったら看護師。
文系だったら、教員・公務員とか。
民間と公務員の所得の差もすごく大きいから、まぁ分かる。
でも、同時に僕らはそういう将来っていうものを彼らに提示する必要があるし、またこの沖縄の社会を豊かに耕していく、そういう仕事をしないといけないんじゃないかって。
そういうのがSゼミの時代に一人一人の生徒と保護者さんと向き合う中だったり、受け継がれてきた理念や社長からの影響も受けつつ、自分達が作り上げてきたものだったし、僕はそれをSゼミで実行するもんだっていう風に思ってたんだけど。
やっていくうちに、親と息子みたいな感じだった社長と僕の関係が最初のような関係ではなく、緊張関係になっていったんですよね。
分かる気がします。ベクトルとか視野の高さみたいなものがズレちゃうと・・。自分のビジョンを持っているからこそ譲れない部分も生まれますよね。
大岩 S解で5年目が終わって、また新しい年度が始まるっていう時に、「後1年やってから僕は辞める」って、そこでやめる宣言をしたんですよ。
僕もそれなりにその会社で重要な位置を占めてたから、会社に迷惑かけるつもりもないんで、辞めるって言ってから1年間は精一杯やって。
過去最高の実績も残したんですよ。
当時、AO入試っていうのがすごく盛んになっていて。
AO入試は学力はあんまりないんだけど、将来を語る事によって、その将来のビジョンがすごく魅力的かつ現実的であるというので合格が出る。
特に慶應義塾大学や早稲田みたいに、それを大々的にやっているところもあって。
それがスゴく面白くなってきたので力を入れていたんですけど、学生達もなかなか最初から将来のビジョンなんて持ってないんですよ。
でも色々語ってるうちに、「面白いところ、色々あるやん!」てなって、僕らも色々そこに足したりして膨らませていって。
それが面白くて、入試直前になると毎日子供達も夜中まで残るんですよね。
夜中の3時ぐらいまで僕たちも付き合って、その後みんなでご飯を食べる。
だから午前中に出勤することも多いんだけど、夜中の3時、4時まで仕事して朝帰りをするっていうのが7月から12月まで続いたかな。
そんな感じで最後の年もやりました。
すごく良い実績も出て。
ていうことで、辞めるっていう事になったんだけど。
「じゃあ次何やろうか?」っていうの何も考えてなかったんですよ。
最初から予備校を作るっていうつもりもなくて。
そうなんですね。流れ的には自分の理想を追求する予備校を立ち上げる感覚なのかと。
大岩 本当に考えてなかったですね。
ただ、沖縄の社会っていうのは、ひとつ自分のフィールドにしないといけないとは思ってました。
関わった人が多いし、それに対する責任もあるっていうところで。
あとは、予備校にいる子供達だけじゃなくて、卒業して大学に入った子達ともずっと繋がりを保っていて、その子たちが何か帰る場所、ホームになるところを作りたいなっていうのもあったんです。
ただ、それが予備校である必要は全く無くて。
全く自由に、本当に何もない所からやるなら農業じゃないか?っていう風に考えたりして、農業計画も色々な仲間を作って考えたりしてたんだけど。
結局のところは・・。
僕が辞めるって言うことを一人だけ知ってた生徒がいて。
僕が今まで持った中で最悪の生徒で、一応その子は琉球大学とかは一浪の時に受かってたんだけど、その後、季節労働に行って、世の中を見るために、あえて苦労をしたりしてた子で。
彼が僕のところに来て、「どうするの?」とか言ってずっとずっと付きまとって言ってくるから、その子にだけ「Sゼミ辞めるから」って事を話したら、
「自分はどうなるの?」っていう事を言うから「お前一人だけみてあげるよ」みたいな話をして。
それで、1月のセンター試験が終わる頃には、いよいよ大岩が辞めるらしいって噂がドンドン広まっていって、他の子達も「先生どうするの〜?僕ら浪人することが決まってるんですけど・・」とかいって来るんですよね。
頼りにしてくれてる生徒から直接言ってこられると、無下にはできませんもんね。
大岩 本当は一年休むつもりだったんです。
働きずめだったんで。
一年休んでから、保護者の方とか、今までお世話になった方と色々お話しをしながら新しい仕事の構想したいっていう風に思ってた。
良い仕事をするには準備がいると思ってたから、そういう時間が欲しかったし。
全く「何」っていう風に決めずに、新しい仕事っていうのをやりたいと思った。
沖縄の社会を良くする仕事やりたいと思ったんです。
でも、生徒たちはそうやってくるわけだから、まあこの子達には何か責任があるなーっていうところから。
僕は文系だったら何とかなるだろうけれども、理系の方はちょっと出来ないから、そういう先生とか、かつての仲間とかに声をかけて準備をして予備校を立ち上げるって事になって。
3月14日で前期試験終わった後なんだけど。
小さく始めたんですけど、その子達が友達を連れてくるんですよ。
1年目で40人ぐらい集まったんだけど。
校舎が3月22日。
後期試験の発表も迫ってるんだけど、テナントに入れたのが3月27日かな。
予備校を立ち上げるタイミングとしては完全に時期を逃しているんだけど、最初に僕を頼ってきた子達の友達づたいで呼んできたというか、集まってきた。
準備期間も含め、確かに満を持してという感じでは無いですよね。
大岩 でも校舎が最高で。
国際通りの睦橋通りっていう、おじいちゃん、おばあちゃんがよくいる通りなんですけど、そこをちょっと入った所にあった空き店舗の2階と3階で。
だから、普通そんな場所に予備校なんか作らないし、よく見れば隣にゲーセンがあるぞみたいな(笑)
そんなところで始めて、大きなお家みたいな所で合宿みたいな感じ。
毎日この部屋に来て、そこで勉強してくれてるっていう。
協力してくれるかつての教え子達もいっぱいいたので。
それで本当に家族みたいな付き合い始めて。
最初、僕らのその予備校の名前っていうのも「ローリングストーンズ」とか言って。
自分たちは転がる石なんだって(笑)
正式な名前のない予備校から始めたんだけど、「いや、名前つけないといけません。会社の登記もしないといけないし」って。
じゃあ、何にしようか?って言った時、ちょうどFacebookで「僕はこういう風に作って行くんだ」って宣言文みたいのを書いたんですけど、その中にグレイトヴォヤージュっていう言葉があったから、英語とフランス語が混ざってるけど、これで良いんじゃん?みたいな感じになって、子ども達とも話して。
そんな感じで予備校を始めるっていう事になって、グレイトヴォヤージュが出港したんです。
またオンボロの、校舎とも言えないような校舎からスタートして。
でも、本当に楽しい1年を味わわせてもらって。
2年目になって新しい校舎に移って、新しいスタッフに来てもらって、今の予備校の形を作りあげていったんです。
なんだかドラマに有りそうな光景が目に浮かんでました(笑)やはり、今一番大事にしているのは「理念」ですか?
大岩 基本的に僕は、今まで最初に勤めた予備校の社長の理念的なものをリレーしてきていて、理念をしっかり持ちながら、沖縄の社会を豊かにしよう、夢を作る場をいっぱい設けながら仕事をしていくべきだって考えていて。
もちろん、社会や国語の講師としても自信を持っていて。
それはただ学力を上げるっていうだけでなくて、良い話が出来る、それには自信を持っています。
後は、働く人達が一人一人、自分の強いところを活かしてもらって、基本的な方向性、ベクトルだけを共有してくれたら良いので。
どんどん盛り上げていってもらって。
黒瀬 スタッフの金城さんから取材依頼のメールを受け取った時に、学生が経営を学ぶラーメン店や、子ども達が夢を発表するコンペ等の企画も実施している事が書かれていたんですが、これは大岩さん主導という訳ではないんですか?
大岩 そうです、そうです。
僕がというよりも、共有しているビジョンに基づいて、彼らが色々と考えてやってくれている事ですね。
でね、僕らは沖縄では突出した予備校にならないといけない。
一旦僕らが、主導権を握る必要があって。
主導権を握った上で、僕がもっと影響力を発揮していったら。
自分が正しい事だって思ってやってきた事っていうのがちゃんと利益に繋がるような循環を作った上で、「ああしないと利益にならないんだ!」っていう形を作りたいんだけど、まだそこまでいってない。
それなりに特色があって、あそこは面白いって言われてるんだけど、まだ圧倒的ではないから、圧倒的にしたいんだけど。
スタッフも揃ってきたし、みんなも成長してきたから、近い内にそうなれるって期待しているところ・・・です!
黒瀬 なるほど〜。
子ども達が夢を持てる環境や社会を作っていくためにも、影響力は必要ですもんね。
大岩 夢を提示しないといけないし、夢は実現可能だってことを示さないといけないし。
「夢を持て!」って言われても、夢を持てないような社会だったら、夢なんて語れない。
我々が夢を持てる社会を今後も維持していかないといけないし、社会を耕して豊かにして、人々が夢を持てるようにしていかないといけない。
でも現実は、夢を持てない人が多いんですよ。
だから僕らはやることがいっぱいある。
僕らの限られた、この予備校に来てくれる子だけじゃなくて、社会全体に対してアプローチできるようにしたいから、もっともっとやることはいっぱいある。
子供の頃から夢を持てない、夢を持つっていう選択肢さえ、そもそも無いっていうのは可哀想でしょうがないんで、こういうことをしっかりやっていきたいし、みんなが夢を語って、その実現のために一生懸命に励むようになれば経済的にも希望が持てるじゃないですか。
だから僕らは、そういうもっと大きなビジョンを持って仕事をしないといけないっていう事は、僕がいつもスタッフと共有してることです。
「視野の狭い人」/「理念先行型の人」それぞれへのアドバイス
ここで少し、大岩さんに聞いてみたいことがあるんですが、良いですか?
大岩 はい!なんでしょう?
黒瀬 自分の会社というより、周りの人についてなんですが。
今までの事業の流れもあって、今自分の周りには主婦や女性が沢山いるんですけど、その中には起業したいっていう方がかなり多いんですよね。
でも視野が狭い人が多い。
例えば、沖縄しか見れていないとか、ひとつのコミュニティに属しているだけで満足してしまっているとか、そういう人が多かったり。
後は、逆に理念とかビジョンはスゴイんだけど、それをビジネスとして収益性のあるものに出来ていないっていう両方のパターンがあるんです。
そういった部分に関して意見と言うか何かアドバイスがあれば教えて下さい。
大岩 お金儲けだけだったら・・。
うまい具合に他の人と違うことをやったり、差をつけたりする事でお金儲けは、多分できると思う。
ネットとかの技術を駆使しながらね。
でも、僕はそういった事には興味が無いんです。
子供達でもいるんですよ。
「お金持ちになりたい!」って。
それは分かるんですけど、お金はただの手段なので、「お金を使って何をするのか?」っていう事をもっと考えた方が良いんじゃないかなって。
そういう人達には、理念とか、何をやりたいのか?っていう事をしっかり考えて行動して欲しいと思いますね。
もうひとつの、「理念ばっかり持っている人」っていう事なんですけど。
でもね。
理念を突き詰めていくと、本来は経済的な利益にも繋がっていくはずなんですよ。
だって人々は良いものを求めているはずだから。
だから「何が良いものなのか?」っていう事をもっと吟味すべき。
人々がその良いものにお金を出すように循環というものを作り出さなきゃいけない。
それは、やっぱり理念を現実に落とし込む時に、「人が何を考えているか」「何を求めているか」っていうのを考える作業が足りないんじゃないかな?
だから、そこの部分で空転している。
うちの学生とかもそう。
よくアドバイスを求めて相談に来る学生もいるんですけど、「自分はこうしたいんだ!」っていうのはあるんだけど、結局は自分の延長線上でしかなくて。
他者を向いてないんですよ。
もっと現実を知れって!
で、現実と向き合ったら理念が本当のものとして、もっと純化していくんですよ。
純化させて、他の人とそれを共有できるんだったら、そこに当然利益がついてくるはず。
後はそれをどうやってアピールしていくか?って問題はありますけど。
本来は 人々は良いものを求めてるはずだから、それをみんなと共有出来れば、そこに利益が集まって然るべき。
だから、そこの掘り下げ方が足りないっていうか、他者を向いていないというか。
そういう学生はよく目にします。
「もっと現実を見た方がいいんじゃないか」って。
「そしたら、君が持っているものをどんどん修正していって、もっと良いものになるはずだよ」
そういう事が、理念を持っている学生に対して僕がよく話すことです。
先ほどの話で、近いうちに予備校として主導権を握って、もっと社会に影響を与えていけるようになりたいという話をされていたんですが、主導権を握って影響力を高めた後にどう動いていくか?っていうビジョンも既にお持ちですか?
大岩 まず僕が全部やる必要はないんですよ。
要は僕が火付け役になれれば、それでいいわけで。
一つはそういう、良いことをやっている事に対してお金が集まる循環を作ったら、他のところも良いことをやらないといけない訳じゃないですか?
まず教育業界においては、そういう循環を作りたいっていうのが一つ。
他にも色々あるっちゃあるんですけど。
さっきも言った通り、予備校っていうのは、一定の所得水準を持っている人がきてくれるところなんです。
でも僕はその外部が気になってしょうがない。
県内である程度偏差値が高いって思われてる学校でさえも予備校業界からしたら成績悪いなっていう見方だったりするんですよ。
でも、そういう子達でさえ、ごく一部。
そうじゃない子供たちがあまりに多い。
で、この子達を何とか包摂したい、社会の中に。
この子達が夢を持てるようにしたい。
で、僕らがこの閉じられた地球環境を考える上で、もう資源が限られてるその中で、我々の今後の安定的な成長っていうのを見込めるとしたら、もうイノベーションしかないんですよ。
だから、子供達からどういう創造性をかき集めて、その創造性同士が高め合って、また新しい地平を切り開くか?っていうのにかかってるのに、そこのところに対して子供達を囲い込むっていうか、大人達が線を引いていて。
利益を確保しようっていうところに大人たちは汲々としているように見える。
だから僕は、子供たちを社会の中に包摂して、一人ひとりが夢を持てるような、夢の中から新しいイノベーションが起こるような、そういう社会を導いていきたいなっていうのが、究極的な目標の一つになるのかなって事です。
イノベーションを起こせる人材が育つ環境を整えるためにも、今まさに教育業界にイノベーションを起こさないといけないという事がよく分かりました!
今日は貴重なお話ありがとうございました!
色々な事に応用できる考え方も多くて、すごく刺激になりました。
大岩 はい。
こちらこそありがとうございました!
大岩 光昭(オオイワ ミツアキ)/予備校講師(国語・社会)/予備校経営
熊本県人吉市出身。
ひょんなことから沖縄に移住。
予備校教師としてのキャリアを積みつつ、生徒達の「受験のその後」に思いを馳せ、仲間と共にビジョンの実現に向け邁進している。
グレイトヴォヤージュ
住所:〒900-0021 沖縄県那覇市泉崎1-9-22(城間ビル2・3・4階)(map)
営業時間:平日9:00〜22:00
電話番号:098-862-7210
URL:https://www.greatvoyage.jp/
大岩 光昭さんと繋がるには?
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編集後記
インタビュワー:黒瀬 圭 Kei Kurose(株式会社ドリームテラー代表)
大岩さんとの会話はスゴく刺激的でした。
時間的な関係もあり、実際は会話というより、怒涛のごとく大岩さんが話すという感じでしたが(笑)
でも、やっぱり理念や哲学をしっかり持っている方の話はスゴく面白くて勉強になりますね。