自分が楽しいと思うことを120%やり切るだけ。それが誰かの励みになれば最高!!粒さんは50歳になっても続けます。
粒マスタード安次嶺こと、安次嶺 周さんとは、自分が主催する交流会でパフォーマンスをして頂いたり、個展を見に行ってお話させて頂いたりとご縁があったのですが、温かい人柄で愛情に溢れた人だな〜という印象でした。
粒さん行きつけのスタバでインタビュースタートです。
取材日:2017.12.07 インタビュワー:黒瀬 圭の詳細はコチラ
今日はよろしくお願いします!交流イベントのYumenomiや、WEB企画でもお世話になりまして。
安次嶺 はい。こちらこそです。
個展も来ていただいてありがとうございます!
よろしくお願いします。
周さん、粒さん、どっちで呼ばれるのが良い?とかありますか?
安次嶺 あ〜、そうですね。
どっちでも良いですよ。
粒さんも自分の中で馴染んでるし、そう呼ばれる事もスゴく嬉しいんですよ♪
じゃあ、粒さんって呼びますね♪ちなみにパフォーマンスの時は粒マスタード安次嶺、イラストレーターの時はShu Ashimineって分けてたりしますか?
安次嶺 そこですね〜。
最初は分けようかな??って思ってたんですけど、最近は分ける必要も無いかなって思ってきて。
Shu Ashimineって英語の字面的に可愛い感じで描けるんですけど、Tsubu-sanって描くのは微妙だったり・・。
でも、最近は粒さんって呼ばれる事も増えてきてるので、行くゆくは「パフォーマーの粒マスタード安次嶺が普段、絵やイラストも描いてる」っていう見られ方になっていくのかな?って気がしますね。
黒瀬 なるほど〜。でも、あれですよね。
映画監督の北野武が日本ではビートたけしの名前でコメディやってるぞ、みたいな感じで、絵とかアート分野で世界まで意識するなら絵の方は今のままShu Ashimineの個人名で通す感じも良いのかな??って思ったり。
安次嶺 あ〜、そっか。それは楽しい感じですね♪
確かに北野武・・、ビートたけし・・笑
黒瀬 後は、役者として活動する時も・・
安次嶺 役者ね!笑
最近、「役者になりたいぜ〜!!」とか言ってますけど、全然話が来ないんです(笑)
でも、一つ知り合いから舞台の話がきて今度やるんですよ。
ただ、それはそのまま粒マスタード安次嶺役として踊る感じなんですけどね。
黒瀬 たまに、ドラマとかでも有りますよね。実在のキャラクターとして登場するパターン。
安次嶺 有りますよね(笑)
あっ、でも、そういう感じで出られたら最高ですよね♪自分にしか出来ない役なので。
ですね♪ではでは、そろそろ粒さんの幼少期までタイムスリップさせて頂いて良いですか?笑
安次嶺 はい!
幼少期ですね。
全然性格違いますよ、今と。
たま〜に出てきますけど、昔の自分みたいなのが・・。
とりあえず、性格悪かったですね(笑)
(笑)具体的に言うと??
安次嶺 怒りん坊だったんですよ、短気で・・。
小学校4年ぐらいから、怒りん坊なのが発揮されて、常に怒ってるみたいなw
ホントに、何か・・笑
小学生とかってすぐちょっかい出してきたりしますよね。
安次嶺 えっと、ちょっかい出されるとか、そういうんじゃなくて・・。
納得いかない事とか、不満な事があると、すぐイライラする感じで。
団体行動とかが超キライでした。
集会みたいなのでみんなで歌ったりするじゃないですか?
「愛は勝つ」だったかな?? みんなで歌ってたんですけど、めちゃくちゃイライラしてました(笑)
「何でみんな一緒に歌わんといけんば・・??」って感じになって。
それで、一人でずっと怒ってるんですよ(汗)
それで先生に怒られたら反発するんですか?
安次嶺 反発〜・・・。
しないですね!
本当に性格悪い感じで、ただ文句言って、一人でふてくされる感じ。
あれで、反発してたら、ちょっとカッコイイ感じになるのかもしれないですけど。
ただ、ふてくされてただけなので・・笑
で、そういうのもあって、ちょっとイジメられてたんですよ。
小学校5年と6年の時ですね。
そういう感じでイジメられるっていうのは、どういう感じなんですか?無視とか?
安次嶺 いや、無視ではないですね。
ちょっかいの最上級みたいなやつです。
身体的じゃなくて、精神的なやつです。
何か、アダ名を付けられて、そのアダ名を朝から下校までずっと。
とりあえず僕を見つけたら、遠いところからでも、ずっと言うみたいな(笑)
ちなみに、どんなアダ名か聞いていいですか?
安次嶺 「ホワイトン」っていう。
ホワイトン??それってどういう??笑
安次嶺 白くて太ってたんですよ。
だから、白豚って事ですね。
ある時、学校の男の子が、英語に強いって言われてた女の子に「白豚って英語で何ていうば??」って聞いたら「ホワイト・トン」って答えたみたいで。
「トン」って確実に英語じゃないですけどね(笑)
それで、「ホワイト・トン」は言いにくいって事で「ホワイトン」に落ち着きました。
で、朝からずっと言われてて、ある時は、朝教室に入ったら黒板中に全部悪口書かれてたって事があったり・・・とか。
え〜。それはちょっと・・(汗)
安次嶺 なんか、そんな精神的にくるような。
で、それを見て僕が怒ってるのが、そいつらからしたら、楽しかったみたい。
だから、世間的なイジメと比べると軽い方だとは思うんですけどね。
もっとヒドイのっていっぱいあるじゃないですか・・。
それに対してリアクションと言うか、直接文句言ったり、叩いたりもせず?
安次嶺 そうなんですよ。
ただ、一人で怒ってるだけなんですよ。
だから手を出せない・・みたいな感じで。
自分でも「あ〜カッチョ悪いな〜」って感じで、小学校の時の自分はキライですね。
それで・・。
だから、イジメられてる人の気持ちは分かるというか。
イジメられてる側からしたら、重いも軽いも関係ないので。
なるほど〜。中学に入って環境が変わった感じですか?
安次嶺 小学校の6年の最後の方に、友達が「怒り過ぎじゃない!?」って言ってくれたんですよね。
小学校の時なんて、自分で「俺、怒り過ぎなのかな??」とか気づけないじゃないですか?
でも、その友達は言ってくれて。
「多分、そんなに怒ってるから、みんな言うんだと思うよ。」
「もっと、今度言われたら、遊ぶみたいな感じで、追いかけたら良いんじゃない?笑いながら。」
「で、捕まえたとしても怒るとかじゃなくて、コチョコチョぐらい。」
「もう言わんけよ〜!!ぐらいの雰囲気でやったら良いんじゃない??」
って。
へ〜そこまで具体的に!笑
安次嶺 そうなんですよ、ホントにw
で、それを言われた次の日からそれを実行したんですよ!
もう怒らず、全然怒らずに・・。
そしたら、めっちゃ楽しくなってきて、それが。
相変わらず言われるんですけど、鬼ごっこみたいな感覚で追いかけて、捕まえてコチョコチョして。
「言わんけよ〜!もう〜!」みたいな事を言ってたら、捕まえた子が謝ったんですよ!!
笑いながら。
「ゴメン、もう言わ〜ん」って。
良いですね♪
安次嶺 で、そんな感じでずっと続けてたら、ある時、主犯格の子が謝ってきたんですよ。
「ずっと、こんなって言って、ゴメンネ」って感じで。
それで、自分も「はぁぁ〜〜〜。。スゴイ♪♪」ってなって・・。
そこからは、全然怒らなくなりましたね!
だから、中学に入る頃には怒りん坊は卒業してました。
なるほど。中学では部活は何かやってましたか??
安次嶺 自分はバスケですね。
その頃はホワイトン的な体型からは脱してたんですか?
安次嶺 いや、僕はずっとポチャッとしてましたね。
痩せてた時期って、高校の2年、3年ぐらいですかね。
身体は大っきかったけど、動ける方ではありました。
黒瀬 そうなんですね。自分も昔太ってたんですよ!
小学校の頃、保健室の中に「肥満教室」っていう特別教室があって、2時間目の休み時間に呼び出されるんですよ。
「ピンポンパンポーン。肥満児の生徒は、肥満教室を行いますので、保健室に集まって下さい」って(笑)
で、肥満教室の中で、肥満体操っていうネーミングの体操を踊らされるという・・。
安次嶺 うっそ〜。
え〜、そんなの格好の標的にされるじゃないですか!?笑
エグいですね!
黒瀬 エグいですよねw
とにかく配慮が無い時代で(笑)
小学校卒業ぐらいの時に、肥満教室が「すこやか教室」、養護教室が「ひまわり教室」に名称変更されたり、ようやく配慮されだしました。
すみません、話が脱線して(笑)中学時代、バスケ以外で打ち込んでいた事や印象深いことって有りますか?
安次嶺 そうですね。中学の時ぐらいから、ちょっとその、出てきましたね・・。
人前で何かやるみたいなのが。
幼稚園の時に、ひょうきん族の漫才みたいなのを真似してやったのが記憶として残ってるんですよ。
小学校の時はそういうのは特にないんですけど・・ずっと怒ってたんで。
ただ中学に上がって、何か僕が周りから「あいつ面白いぞ」的な雰囲気になって。
何かやらしたら面白いって雰囲気になって・・。
で、友達の中のヤンキー寄りの子達が、「安次嶺来いっ!!アレやって、アレやって」みたいに、当時僕がやってたオリジナルダンスを見たがるんですよ。
おっと。もう、その時点でオリジナルがあったんですね!笑
安次嶺 はい(笑)
中2か中3ぐらいかな??
黒瀬 それって何かの影響を受けたとかあるんですか?
安次嶺 多分、何かの影響があると思うんですけど・・覚えてないんですよね。
でも、絶対何かの影響は受けて、やってたと思うんですけど。
で、その踊りを踊ったら大爆笑してくれて(笑)
黒瀬 これって、でも、ミュージック無しですよね??
安次嶺 無しです、無しです。
自分の声でやってる感じで。
黒瀬 もう今とあんまり変わらない感じ(笑)
安次嶺 あんま変わらないですね。今考えたら(笑)
学校の階段、5段ぐらいにヤンキー達が客席みたいに座って、その前で踊ったりとか。
運動場の端っこに呼ばれて、踊ったりとか。
黒瀬 それ、端から見たらちょっとイジメられてるみたい(笑)先生、心配になるやつw
安次嶺 そうそう!笑
でも、僕も楽しくやってるんで。
「又な〜??良いけどよ〜〜♪」みたいな感じ(笑)
黒瀬 でも、子供とか中高生ぐらいがノリで踊るって、普通はシラケがちになりますもんね。
それで毎回楽しませられるってスゴイですよね!?
安次嶺 なんすかね〜。その時は、バックダンサーみたいのが2人いたんですよ。
軽く何かやってもらったりもしてたんですけど。
あっ、思い出した!!!
何に影響受けたか!!!
黒瀬 おっ、おっ!!なんですか??
安次嶺 メロリンQです!
山本太郎!
黒瀬 メロリンQって「たけしの元気が出るテレビ」のやつですよね?
安次嶺 そうそう!ダンス甲子園!
ダンス甲子園でみんなめっちゃカッコ良いダンスをやってる中、僕は、メロリンQの方にハマったんですよね。
めっちゃ面白かったですアレ!
多分、今見ても面白いんじゃないんですかね。
空港で一回会ったことあって、めっちゃ感動しましたね♪
もう大人になってからで、山本太郎さんは政治家になってましたけど。
黒瀬 じゃあ、粒さんのダンスの原点はそこかもしれないですね!笑
安次嶺 そうっすね!
そうっすね!笑
いやぁ〜まさかの原点の話が聞けて良かったです♪時間差で思い出して頂けてw
あっ、ところで粒さん、出身とか中学校、高校ってどちらですか?
安次嶺 生まれも学校もずっと、浦添ですね。
で、高校ぐらいから「コイツ面白いぞ感」が増していって・・(笑)
コイツいじったらめっちゃ面白いぞっていうのを見出してくれる奴がいて、その子とずっとつるんでましたね。
同じバスケ部だったって事もあって・・。
高校の時は、部活でバスケ一生懸命頑張りつつ、文化祭の後夜祭みたいなのとかで、何人かと組んでコントをやったりとかもしてましたね。
もうノリで、みんなで楽しく考えるみたいな感じですけど。
今考えたら恥ずいっすけどねw
Youtubeとか、動画が無い時代で良かったです(笑)
今の子達は大変ですね(苦笑)
粒さんは音楽とかはいつぐらいから聞き出しましたか?
安次嶺 中学生の時からですね。
兄貴、長男が6歳上なんで90年代の洋楽をめっちゃ聞いてたんですよ、その影響で。
曲を聞いたら分かるんですけど、名前とかは忘れちゃってますけどね(笑)
でも、「Together Forever」(Rick Astley)とかはめっちゃ印象に残ってますね。
聞いたことあると思います、絶対!
学生の頃はバンドやりたいとか、そういう事はなく?
安次嶺 全然ないです!
高校の時もなかったですね。
高校の時とか、周りはGLAYとかゆずのコピーバンドやってる子とかがいて、ただ「スゲーッ!」って見てただけですね。
自分の時もいました!ゆずとかミスチルと系、NIRVANAとかの洋楽系に分かれる感じで。
安次嶺 たしかに洋楽系もいましたね〜。
あっ!でも、高校の時DA PUMPが大好きだったんですよ。
高校3年ぐらいの時。
で、DA PUMPをめっちゃ踊りだすっていう・・。
高校3年生の1年間。
ホントに狂ったかのように、取り憑かれたようにDA PUMPずっと踊ってました。
それはまた人前で披露する感じだったんですか?
安次嶺 してないです。
するつもりが全く無くて、ただただ自分が大好きで踊れるようになりたいから・・DA PUMPの振り付けを。
粒さんって、その気になれば正統派のダンスって踊れるんですか?
安次嶺 ・・・できないっす!
だから、振り付けとか覚えるのはめっちゃ遅いです。
DA PUMPのダンスは、復習すれば踊れると思うんですけどね。
基礎とかは出来てないから、荒削りですけど。
そういうのを一人黙々と踊ってて・・。どっかの駐車場とかで。
誰に披露するわけでもなく(笑)
そっか〜。結構、黙々と取り組めるタイプなんですね。
安次嶺 ハマったらですね。
ホントに熱しやすく冷めやすいんですよ。
ハマったら、恐ろしいぐらいハマるんですけど。
高校の時は、それがDA PUMPでしたね。
そのおかげで、リズム感は良くなったと思います♪笑
大学には行ったんですか?
安次嶺 大学、行ってないです。高卒ですね。
高校を1998年に卒業して、1999年・・・
履歴書めっちゃ書いたから覚えてるんです(笑)
1999年の1年間はバイトとかして、何とな〜く過ごしてました。
で、それを見かねた、うちのお父さんが・・。
その時、お兄ちゃん(次男)が留学してたんですよ。アメリカの方に行ってて。
で、何にも夢も持たずフラフラしてる僕を見かねて、お父さんが「お前も行って来い!」って言って。
僕はその時は何ていうか、そういう親のありがたみを分かってなかったので、「えっ、良いの!?イェ~イ!!!」みたいな感じで、1年間行きましたね。
それって次男のお兄ちゃんが行ってたところに?
安次嶺 そうですね。
サンフランシスコだったんですけど、一緒に住んでました。
兄ちゃんが行ってた語学学校に行って、その時はもう兄ちゃんは語学学校卒業して現地の大学に行ってたんですけど、僕は語学学校の1年間だけで日本に帰ってくるっていう贅沢な感じで・・笑
で、1年留学すると、帰ってくるの2000年になるし、成人式もあるので、最初は「留学行きたくない!成人式出たいしっ!!」って雰囲気だったんですよ。
ほんとアホだな〜って思うんですけど・・笑
アメリカに行って衝撃受けた事とか、得た事って何かありますか??
安次嶺 あ〜、一応まぁ、何ていうんですかね〜。
「フレンドリー」とか(笑)
とりあえず、向こうの人達は誰でも知らない人でも喋るな〜、挨拶するな〜とか。
あの気さく感は素晴らしいなぁ〜と思って。
アメリカではイジったら面白いぞ!を見出してくれる人はいたんですか?
安次嶺 いましたね〜(笑)
マークっていう先生がいて。
コイツは何か面白そうだぞっていう雰囲気を感じたみたいで。
で、僕も兄ちゃんから英語で映画で言うような台詞を習って「これ言ったら、多分笑うはず!」っていうやつを聞いて。
それを使って、マークっていう先生に切り返したりしてましたね。
いや、もうホントに贅沢っすよ。
なんか1年、成人式があるまで行くとか(笑)
じゃあもう、満喫した!って感じだったんですね。
安次嶺 満喫ですね!
もう目標もなく行ってるんで・・笑
親のお金でスゴイ贅沢な留学をできたっていう。
アメリカに行って一番良かった、プラスだったことって何がありますか?
安次嶺 え〜・・「勇気を出す」みたいな。
英語を話す時ってマンツーマンになるんで、恥ずかしがってる場合じゃないぞって。
とりあえず喋るぞって感じで喋るっていうのがそれまで無かったので。
それまで、ずっとイジられキャラだったので、自分から話しかけるとかしなかったんですよね。
なるほど〜。
安次嶺 あとは〜、勇気出して外国人の女の子とチューしたっていう。
一回だけ。アハハッ(笑)
2Pacの話で盛り上がったんですよ、ラッパーの。
サーシャって女の子と(笑)
いや〜、スゴイな〜今考えたら。
自分で褒めてあげたいw ようやったなぁ〜って思いますね。
ナンパとか一切したこともなかったし、できないので。
良いですねw 「勇気」と、「男の勲章?自信?」を得て沖縄に戻り、無事に成人式にも出れたんですか?
安次嶺 そうですね。
成人式前にキッチリ帰ってきて。
フラフラしてた期間には一切触れず、「俺、留学してたわけさ〜」ってw
親のお金のくせに(笑)
(笑) で、20歳ですよね?そこからは何か仕事に?
安次嶺 また、バイトをやりだして。
何も変わってないですけど(笑)
2000年に帰ってきて、2年間ぐらいバイトしながらフラフラしてました。
で、そのフラフラしてた間に友達とラジオを作ってたりしてたんですよ。
自分たちのオリジナルの放送局みたいなのを作って・・。
浦添ニュータウンってとこに住んでたんですけど、そのニュータウンの近所の同級生と3人ぐらいで。
それってコミュニティFMみたいな??
安次嶺 いえ、もうホントに自分たちでテープに録音するってだけです。
「テープに録音して、後でみんなで聞こう!」みたいな♪
えっ!?笑
安次嶺 アハハハッ(笑)
で、浦添ニュータウン内にある商店とかスーパーとかのラジオ・コマーシャルとかを勝手に作ったり、色んなラジオ番組を勝手に作ったりして。
誰かの誕生日がきたら、そのテープをあげたりとか。
そういうのを2年やってて(笑)
いや〜、ホント色々結構作りましたよ〜。
大人が本気で子供みたいな遊びをやってる感じw
安次嶺 ですね!
で、メンバーの一人が「留学する」ってなったんですよね。
ラジオ番組とかを作ってたから、オリジナルの何かを作るのは慣れっこになってたんで、架空のバンドを作って、その架空のバンドのアルバムを留学する友達に餞別の品としてプレゼントするって事をやったんですよ。
その留学するっていう友達はラジオを作ってたニュータウンの仲間ってことですよね?
安次嶺 そうです、仲間です。
細かく言うと4人ですけど、いつも集まってたのが3人で、一人が留学するから、残った2人でアルバムを作ったんですよ。
オリジナル楽曲で。
もう一人がギターできる子だったので。
粒さんは歌う感じで??
安次嶺 そうです、僕は歌。
で、それをプレゼントして・・。
「行ってらっしゃい!!」みたいな感じで。
で、それが「NEWTOWNER(ニュータウナー)※」の始まりなんですよ。
アハハハッ(笑)
※粒さんがMC&ボーカルを務めていたバンド
(笑) あ〜〜、想像してなかったな〜(笑)
安次嶺 だから〜、音楽、僕ノータッチなんですよ、ずっと(笑)
それがニュータウナーっすね。
結成は2002年で。
最終的にニュータウナーは7名なんですけど、始まりは、僕と洋介の2名でしたね。
で、同じニュータウンに住んでる、「正吾」と「比嘉」っていうのがいて。
比嘉はギターを洋介と一緒に大学でやってたんですよね。
で、正吾っていうのは・・(笑)
「最近、ターンテーブル買ったらしいよ!」って噂が流れて、「DJ入れようぜ!!」って事で参加してもらって。
あと、細かく言うと、架空のバンドを作った時点ではサブリミナル・ボムっていうバンド名だったんですよ(笑)
そのサブリミナル・ボムのアルバムにフィーチャリングで入ってた「かーねー」って子も呼んで、バンドに入ってもらって。
フィーチャリングって言っても、身内でやってただけなんですけどw
「せっかくだから、ちゃんとバンドしよう!」って事で、名前をニュータウナーに変えたんです。
おー、いよいよ始動ですね!
安次嶺 最初、デモテープを作って・・。
那覇のGET HAPPY RECORDS(ゲットハッピーレコード)っていう所が、誰でもデモテープとか置いてもらえるって聞いたんで、「置こう!置こう!」ってなって置いてもらったんですけど、そしたら向こうの店長さんが気に入ってくれて、色々なところに紹介してくれて。
あと、高校の後輩がコミュニティFMを・・・ちゃんとしたやつですねw
FM21でラジオをやってて、「誰でも出してくれるらしいよ」「じゃあ、出よう出よう!!」ってなって。
デモ音源を持ち込んでラジオに出してもらって、その時に「先輩なんかはLIVEはしないの??」って言われて・・。
「えっ、LIVE?LIVEって何?え?やる?やる〜?やろっか〜〜〜!」ってなって(笑)
無邪気っすね〜〜!!めっちゃ(笑)
安次嶺 ホントそうです。
遊びの延長っすね!
メンバーは、この時点で5名だったんですけど・・。
でも、LIVEやるんだったら、あと「ベースとドラムがいない」ってなって。
確かに!笑 言い方悪いですけど、ごっこというか身内の内輪のノリのまま・・。
安次嶺 そうです。内輪のノリで・・笑
で、「ベースとドラムいないけど、どうする?」ってなって。
高校の時の繋がりで、ベースをやってた「ふーとー」っていう子を呼んで・・。
あと「創(はじめ)」っていうのがいて、本当はギター・ボーカルなんですけど、助っ人でふーとーのバンドに入った時にドラムをやってたんで、「創、ドラム出来るっしょ!?ドラムやって!」ってお願いして。
これでやっとフルメンバーの7名。
ベースとドラムも揃ってLIVEが出来るようになった感じです。
確かに珍しいですよね♪でも、最初のうちからレコード店の店長に気に入ってもらったり評価を受けたっていうのは、洋介さんの作曲センスが高かったって事ですか?
安次嶺 そうです!
最初から一緒にやってた洋介の作曲センスがヤバかったんです。
じゃあ、ニュータウナーの音楽性の軸っていうのは、洋介さんの才能有りきで?
安次嶺 そうです!!
もう、それのみです!!笑
あとは、自分とボーカルを2人でやってた子の掛け合いが面白いって言われたり。
僕も歌ったり、踊ったりしてたんで、それも楽しいって言ってもらえて。
そのツインボーカルのもう一人の「かーねー」は、高校の時に「コイツ、イジったら面白いんじゃないか!?」って言うのを気づいた子なんですよ!笑
おー!!そういう事なんですね。
安次嶺 だから、何かLIVE中の掛け合いとかもハマって、お笑いじゃないですけど、LIVEのトークが面白いとか。
で、僕は当時からLIVE中に、今の粒さんみたいな動きをやって踊ってたんで。
メンバーに注意されるぐらい・・。
「ちょっと、しっとりした曲では動かんで!!」って言われたりw
バンドは結局、何年続いたんですか?
安次嶺 2002年から2009年までなんで、7年間ですね。
そうなんですよ〜。
7年間・・・。
粒さんとしての活動が8年間なんで、ニュータウナーとしての活動期間を越えちゃったんですよね。
それが寂しいというか、何というか。
バンドがスゴイ思い入れが強かったんで、ニュータウナーが。
で、こういうのもアレなんですけど、結構良いところまで行ったと思うんですよね。
ホント自分で言うのもなんですけど、惜しまれつつ解散したって感じで。
沖縄拠点で活動してたんですけど、ワンマンもやらせてもらって、東京とか県外のLIVEにも結構お客さんが来てくださって。
CDも全国発売で3枚アルバムを出せて。
タワレコとかでも特集してくれたんですよ・・。
「モンゴル800、HY、ORANGE RANGE、次は奴らだ!!」みたいな感じで、POPデッカイの作ってくれて。
同じ時期で出てきてたバンドって言うと?
安次嶺 ORANGE RANGEとか、かりゆし58とかですね。
当時、ORANGE RANGEが県内でLIVE演ると女子高生めっちゃ集まるって言われてた時期ですね。
そっか〜。惜しまれつつ2009年に解散して・・。粒マスタード安次嶺って名乗りだしたのと、ニュータウナーは被ってないですか?
安次嶺 被ってないですね。
バンドは2009年に解散して自分はイラストレーターとして本格的に活動を初めて、名刺作って今はイラストやってますみたいな。
その2009年には、創っていうバンドの子もイラストやってたんで、DOKUTOKU460の城間さんっていう方と3人でグループ展もやったんですよ。
すぐ展示会までやったんですね♪ じゃあ、粒マスタード安次嶺って名乗りだしたのは?
安次嶺 その翌年、2010年ですね。
イラストレーターとして活動を初めて1年ぐらい経った時に、友達が結婚するから「ニュータウナーで余興やってくれないか?」って言われて、「でも、もうニュータウナー解散したから出来ないっすよ」って話になった時に・・。
「じゃあ、周、一人で何かやって」って言われたんですよ。
「えっ!一人ですか!?まさか!」って思ったんですけど・・
あ〜でも新郎に言われたら・・って言うので、めっちゃ何やろうかな??って考えて・・・
粒さんやりました(笑)
ニュータウナーの時にMC・ボーカルしながら踊ってたり、自主企画の時は転換の時も自分たちメンバーで回さないといけないんで、その転換の場つなぎで、レオタードっていうか、お母さんの水着を着て踊ってたんですよね。
粒さんみたいなダンスを。
「あっ!アレやろう!!」ってなってw
で、お母さんに「あの時の水着ない??」って聞いたら、「もう捨てたよ」って言われて。
「え〜〜!!」ってなって、速攻サンエーで探して、で、今の格好です(笑)
粒マスタード安次嶺ってネーミングは自分でつけたんですか?
安次嶺 それも、その同じボーカルの「かーねー」がつけてくれて。
「粒マスタード安次嶺って名前でやったら??」って。
理由は聞きました?
安次嶺 何となくって(笑)
そっか(笑)かーねーさんは今は何をやってるんですか??
安次嶺 看板屋やってますね。
あっ、ラジオもやってますよ。
今、FM那覇で毎週火曜の21時から。
「はじめ」と城間さんと「じゃんじゃん」さんっていう、めっちゃ凄いダンサーの人と。
ニュータウナーのメンバーの方って多彩ですね♪ 粒さんとして活動を始めてからは、最初はパーティーダンサーって呼ばれたり、余興中心だったんですか?
安次嶺 そうですね。
余興っすね。はい。
最初は知り合いの結婚式の余興でやってたのがYoutubeで拡がって、「自分のところでもやって下さい!」って言われるようになって拡がっていった感じです。
周りからの見られ方として、パーティーダンサーって呼ばれるようになった感じというか。
ありがたいです!
イラストレーターをやりつつ、余興で粒さんをやって。そこから転機になったキッカケっていうと・・
安次嶺 Xファクターですね!!
あれが、粒さん始めて4年、5年ぐらいの時で。
「Xファクターやるってよ!」って聞いたんですけど、最初、出るつもり無かったんですよ。
何かあれ厳しいじゃないですか?審査員とか。
で、当時4年、5年やってて、仕事として依頼主からお金も頂いてたから、Xファクター出て審査員にボロカス言われた日には、今まで依頼してくれた人にどう顔向けして良いか分からない・・っていうか。
確かに、万が一「素人の悪ふざけじゃ!!」みたいに言われたりしたら・・・
安次嶺 そうなんですよ!
そんな事になったら、今後できんし、今までやってきた人にも悪いしっていうので、出たくなかったんですよ、最初。
あれ吉本興業とSONYが一緒にやってたイベントで、吉本にいる後輩が「周先輩出れば〜?」って声かけてくれたり、周りの友達も「出ないの??」って言ってくれてたんですけど、最初は断ってたんですよ。
でも、だんだん「こうやって、言ってもらえてるうちが華だな〜」って思うようになってきて、出ることにしたんですよね。
で、やった結果、仲宗根梨乃さんに気に入って貰えたから・・。
これが、僕的には本当にデカくて・・
「よかった〜〜〜!!!!」ってなりましたね。
そうですよね♪でも多分あれで、それまで見ようによったら、ちょっとキワモノというか。変わったパーティーダンサーみたいな人がいるって印象から「エンターテイナー」っていう風に変わっていった感じがしますよね。
安次嶺 はい!
そうですね。
そうなりましたね♪
そこから仲宗根梨乃さんと宮本亜門さんが手がける「TEE!TEE!TEE!」に出演したり、モンゴル800のPVとかLIVEに出たりと活躍が広がっていきましたよね。
安次嶺 そうですね!
ちょうどTEE!TEE!TEE!の稽古してる時に、ファミマとモンパチがコラボしたPVを撮ったんですよ。
モンパチの清作が「周先輩、どんなね??」って声かけてくれて、「やる!やる!やる!」って言って。
先輩っていうと、学校のですか?
安次嶺 高校です。
浦添高校の後輩なんですよ、モンパチの3人が。
いっこ下にいて。
おー!それは濃い繋がりですね♪
安次嶺 で、コラボでPV出たんで、モンパチのメンバーが自分たちの企画のLIVE「What a Wonderful World!!」とか「800だョ全員集合!!」とかで「OKINAWA CALLING」演る時にも「周先輩出る?」って言ってくれて
もちろん「出る!出る!出る!!」って言って。
そんな感じで自主企画のLIVEがある時はずっと呼んでもらえてて。
で、2017年に始めて自主企画でもない、県外のロックフェス「ROCK IN JAPAN」に呼んでもらったんですよ!!
ヤバかったですね。
モンパチのファンの方は出て来る前から、粒さんって存在を認識してるんですか?
安次嶺 PVに出てるので、モンパチファンの方は、認識してくれてます。
モンパチのファンの方は本当に温かいんですよ!
他の人もよく言いますけど。
ROCK IN JAPANの時は、モンパチファンだけじゃないんで「誰!?」って感じが満載なんですけど、まあ何とか盛り上がってくれて。
まあ、モンパチのステージだからっていう前提があるからですけど。
スゴイ盛り上がってくれて、僕的にも良かった〜〜!!って。
で、今年の「800だョ全員集合!!」では、始めて単体で「粒マスタード安次嶺」として紹介されて、出させてもらったんですよ。
今まではポスターに写真とかも載ってなかったですし、「OKINAWA CALLING」の曲の時だけのゲスト出演だけだったんですけど、800だョからは、写真も出て、粒マスタード安次嶺として単体でパフォーマンスする時間も頂いて。
年末のカウントダウンのCMでも単体で紹介されてますよね♪モンゴル800さん、ディアマンテスさんと並んで。
安次嶺 そうですね♪
カウントダウン、12/31にあるやつ。
信じられなかったですね!
昔から知ってるディアマンテスさんと。
アルベルト城間さんから「粒マスタ〜〜ド〜、ア〜シミネ〜〜〜」って呼び込まれるとか、ヤバイ!みたいなw
じゃあ、何かもうアレですね。イラストレーターの仕事も、粒さんもどっちも大事な。
安次嶺 そうですね。
どっちが本職ですか?って聞かれるんですけど、どっちも本職なので、中途半端にはしたくないですね。
展示会とかで使う粒さんは、本当にワンスパイス的な感じで、パズルの写真とかアレぐらいで。
イラストレーターはあくまでイラストレーターなんですけど、でも小さい子から年配の方まで男女問わず楽しんで「来てよかったな〜」って思ってもらえる展示会にしたいので、粒さんを入れて盛り上がるんだったら、ああいう風に写真を入れたりとかは全然良いですね。
さすがにああいう服をきたり、踊ったりはしないですけど(笑)
「安次嶺さんは何を目指してるんですか??」って聞かれたら、どういう答えになりますか??
安次嶺 あの〜、イラストに関しては、とりあえず自分の頭の中を見せたいんですよ。
物語を考えるのが好きなので、絵本にしても漫画にしてもそうなんですけど。
1枚の絵でも物語が詰まってるじゃないですか?
そういう物語をとりあえず見せたい・・という。
学校の頃に絵とか漫画得意な子が、友達に見せたいっていう
安次嶺 もう、そのノリです!ホントその感じです!!
友達に見せるっていう、あの快感を味わいたいっていう・・。
より多くの人に。
っていうのがイラストの目標っていうか、やりがいなんですけど。
粒さんの方だと、どういう感じですか?
安次嶺 粒さんに関しては・・。
ありがたい事に、たま〜にメールとか頂いて・・。
「めっちゃ落ち込んでたけど、元気もらえました」とか
「受験で大変だったけど、ヤル気出ました!」とか
そういうお便りを、本当にたまに頂くので・・。
何か今までそんな風に思われたことが無かったので。
誰かの励みになってる・・みたいな。
こういうのでも、人の助けになるんだ!って。
まぁ、メンタルの面で。
だからずっとそういう風に思われるように、人の励みになるように、踊れたら良いな〜、表現できたら良いな〜って思ってますね。
何か自分でも自分の踊りを見て、元気もらうので(笑)
楽しませるとか、笑わせるっていうよりも・・・
安次嶺 そうですね。
結果的に、人を元気にさせられるなら何でも良いというか。
「あ〜、アホな事やってるな〜」って笑ってくれるのでも良いですし、ありがたいですし。
「落ち込んでる場合じゃないな〜」とか「落ち込んでた事忘れたな〜」って思ってもらえたら、それは最高ですね。
前に腰を痛めてしばらく粒さん出来ない時期があったり、ずっと続ける上で身体への負担が問題になったりしそうですよね。
安次嶺 あ〜、有りましたね。
自分のダンスは想像以上に身体への負担が大きいので、これからも有ると思いますね。
で、現在進行形で、ボアソルチのトーモーさんのところで肉体改造を勧めてるという
安次嶺 そうです!
これから、この後も行くんですけどね(笑)
あっ、あと前にイジメの撲滅を意識したLINEのスタンプを作られてましたよね?あれはまだ売ってますよね?
安次嶺 あ〜!はい!
まだ売ってます!
まだ売ってるけど、全然こう・・笑
でも、あれは過去の自分の経験とかから、思う所があって・・っていう事ですよね。
安次嶺 なんか、ネットでめちゃくちゃ最悪な写真を見たんですよね、イジメ系の写真で。
あれ見てから「はぁ〜〜??」ってなって。
しかもLINEグループとかでのイジメもあったりするのを知って、だったらLINEスタンプでどうにか出来ないかなって考えて作ったんですよね。
ある時、中学か高校で生徒さんの相談に乗るカウンセラーみたいな人から連絡があって「このスタンプを生徒達に教えて良いですか?」ってメールを貰ったりして、「あ〜、是非ぜひ!」って事もあって、嬉しかったですね♪。
あ〜!そういう風に少しでも活用されるだけでスゴく意味が大きいですよね。粒さんは子供って女の子が居ますよね?1人ですか?
安次嶺 そうです。女の子が1人。
もう4歳になりますね。
やっぱり子供が出来ると、思う所が増えてきますよね。アンテナが変わるというか。
安次嶺 そうですね。
あの「ママのための絵本」を描いたのも子供が出来てからですし・・。
ありがたい事に、あれめっちゃ色んな人が買ってくれて。
僕も買いました♪今後の野望としては漫画の掲載とか、出版社と契約して出版したいとか有りますか?
安次嶺 ありがとうございます!
まあ、漫画の方は出来たら嬉しいなってぐらいですね。
前は単行本にしたいとかって気持ちは強かったんですけどね・・。
絵本は今でもあるんですけど・・。
やっぱりそれよりも、展示会にどれだけ人を呼べるか??どれだけ良いものを見せられるか??っていうところにこだわってるので。
それで、展示会のグッズ売り場に絵本が置いてあるとか、マンガの単行本が置いてあるみたいな感じが良いですね。
・・・でも、出版社と契約ってカッコいいですね(笑)
なるほど〜。粒マスタード安次嶺としての今後の野望って有りますか?最近テレビとかにも出てますよね。
安次嶺 あっ、「こきざみぷらす」さんにはよく出させてもらってて。
テレビに関しては一応企画は出すんですけど、まだちょっと自分の出方というか、TVとしての振る舞い方を自分自身で掴んでないっていうか。
最近ちょっとずつ分かりだしてきてる感じ・・笑
そっか。昔から、かーねーさんみたいに周りの人からイジられて面白くしてもらってる感じの・・。
安次嶺 そうなんですよ。
なので、自分発信はそんなに無いんですよ。粒さんに関しては。
イラストレーターに関しては自分発信をしていきたいっていう感覚が強いんですけど。
粒さんに関しては、求められるままに「イジってくださ〜い」って感じで。
その姿を見せて、人を元気にしていけたら・・って事ですよね?
安次嶺 そうですね。その姿を見てもらって、元気にして・・。
ホントに救えれば、これ以上無いなって思ってて。
あの、本当に最悪というか・・自殺とかあるじゃないですか。
そういう自殺とかを止めるぐらいの魅力があったら・・。粒さんとか自分がやってる事に。
それ以上の事はないなって。
そうですよね〜。そうなったら最高ですね。粒さんは、今後どういう人と繋がっていきたいってイメージがありますか??
安次嶺 う〜ん。
特にないっすね〜(笑)
強いて言えば、話ししててめっちゃ笑える人。
アハハハッ(笑)
話しをしてて、仕事の事とかプライベートの事とか全部忘れて、その人の話だけに意識が向いてめっちゃ笑える。
そういう人が自分とめっちゃ合う人なんですよね。
それって話がただ面白いってだけじゃなくて・・。難しいですね(笑)
安次嶺 一緒にバンドやってた、かーねーがそんな感じなんですよ。
この人と話してたら、気を使わずにめっちゃ笑えるし♪
元々、人との繋がりをそんなに嬉しく感じるタイプではなくて・・入り口は。
繋がると「おっ、この人と繋がれた!良かった〜♪」とか、繋がってちょっと経つと「あっ、この時の繋がりがあったからだ〜」って感謝したりするんですけど、入り口はなるべく誰とも会わないぐらいの・・感じなんですよね(笑)
だから面倒くさがりなところがあって。
受け身というか求められるがままというか「イジって下さい」「必要としてくれるなら使って下さい」みたいな。
安次嶺 はい。そうですね。
だから自分から「一緒に何かやりましょう!」みたいなのはあんまり無いですね。
じゃあ、逆に粒さんが、自分と繋がったらこういう価値を提供できるよっていう部分でいくと、やっぱり「姿を見せて人を元気にする」っていう。
安次嶺 ん〜、それを目的にはやってるんですけど、めちゃくちゃそれを意識してやってしまうと、押し付けみたいになってしまうと思うんで。
自分は本当に自分が楽しくてやりたいと思ってることを120%でやりきって見せてるだけっていうスタンス。
押し付けはしたくないんで。
それを見てくれて、励まされたりしてくれたらベストなんですけどね。
ホントに何か、意識しちゃうと自分はダメなんですよ。
あと、最後に「誰に」「こういうメッセージ」を伝えたいっていう事でいくと?
安次嶺 あ〜、両親ですね!!
「ちゃんとやってます!」って。もう本当にそこに尽きますね。
本当に両親には迷惑をかけてるので・・。
何ていうか、泣かせたとかそういうのじゃなくて、心配をめっちゃかけてると思うんですよ。
定職にもずっと就かず、バンドやりだして、で、「いつ辞めるんだ??」みたいな雰囲気になるじゃないですか?
一握りの人しか食っていけない厳しい世界で。
で、最初らへんは25歳までだぞ!とか言われてたんですけど、後半になるに連れて応援してくれるようになったんですよね。
新聞とかラジオとか目につくようになった事もあって。
で・・・解散しました。
やっと定職に就くのかな?と思ったら
イラストレーター??
「絵を書き出したぞ!!」ってなって。
それでも何も言わずに応援してくれて・・。
そしたら、今度は「踊りだしたぞ!!」って(笑)
コイツは何を・・・
何ていうかね・・・笑
でも踊りだしても応援を続けてくれたんですよね。
下手したら自分と同じような境遇で、親に勘当されちゃうような人もいると思うんですよ。
だけど、それをそう言わず、良い関係を保たせてくれて応援してくれている両親に・・。
「ちゃんとやってます!」っていうのは伝えたいですよね。
なるほど〜。即答でしたね!! 結構この質問で詰まる人も多いんですけど。
安次嶺 あっ、そうですか?
もう留学の時から甘えっぱなしなんで。
安心はさせたいですよね(笑)
今37ですよね?40歳だとちょっと近いので・・。50歳の粒さんはどうなってると思いますか?もしくは、どうなっていたいですか??
安次嶺 50歳ですか!?
まぁ〜理想としては、今ぐらい動けて・・。
粒マスタード安次嶺としてはですね。
で、イラストに関して言えば、世界観は今のまんまで技術とかは当然、色々上がってて欲しい。
世界観は今の感じが好きなので♪
50ですよね??
50っていったら、娘が何歳ですか・・?
13年後なんで・・17っすよ!
高校3年生!!!
そっか〜。粒さんが溺愛する娘ちゃんは、4歳ですよね?もう粒マスタード安次嶺の活動は認識してるんですか?
安次嶺 してます!
最近驚いたらしくて・・
保育園の先生が。
発表会とかで舞台袖で待機してる時に、自分の娘が先生に「パパもここで、こういう風に待ってるんだよね??」って言ったらしいんですよ。
先生も何も言ってないのに「そういうとこまで知ってるんだ!」ってビックリしたらしくて。
自分も、ちょうど昨日それを初めて聞いてビックリして。
で、「どんな?ドキドキした??」って聞いたら「うん!ドキドキした〜〜」って言ってて、「そうだよ〜!パパもこんな感じなんだよ〜!!」って。
保育園の事はよく聞くし、時々、友達関係にまで首突っ込んじゃいますね〜。
もう心配で、心配で。
恋人みたいなもんなんで(笑)
でも、それこそさっきの高校3年生とか、もっと早いかもですけど、娘ちゃんが「彼氏出来たってば」って言うタイミングもいつかきますもんね。
安次嶺 今から言ってますもん。
スカッとジャパンってTVがあるじゃないですか??
あれの、「甘酸っぱい高校生の青春スカッと」みたいなやつを娘が大好きなんですよ。
何か、毎週めっちゃ真剣に見てるから・・
そろそろ分かってきてるんじゃないか!?って思って。
で、見終わったあとに「ひかるちゃん、ひかるちゃん!」って呼んで
「ああいう・・男の子が、もし、ひかるちゃんに出来たら、すぐ言ってよ!」
「パパにすぐ言ってね。パパ、その男の子見たいから」って(笑)
ああいうキザなこと言うやつはロクなもんじゃねぇ!とかは言わないんですか??笑
安次嶺 (笑)
いや、またそれ言うと分からないし、混乱させてしまうんでw
分かる言葉で・・
「一回会わせて」「パパに言って」みたいな。
そっか〜(笑)でも、そういう子供との関わりで芽生える感情もこれからの創作活動に影響していきそうですね♪
安次嶺 そうですね。
それがスゴく合ってるんで。
「愛」・・・じゃないですか?
自分が描く絵も、愛に満ちたものにしていきたいから。
それをパワーアップさせていくだけというか・・。
グロい絵とか、ダークな作風な絵の方の場合、子供がいると色々葛藤があると思うんですよ。
鬼気迫る感じでグロイの描いてる人は相当大変でしょうね・・。
子供にそれを見せないとか、家族と触れ合う時の温かい気持ちと、作品に向き合う時の気持ちの切り替えとか・・。
でも、自分の場合はそこがスムーズというか、作風が等身大の気持ち、感情とリンクしているので。
とにかく、もう自分の絵をパワーアップさせていくのみですね。
なるほど!確かにそうですね!これからの作品も楽しみにしてます♪
安次嶺 とりあえず自分の絵に登場してくる女性達は・・全部、妻か娘です!
モデルは。
黒瀬 素敵!!じゃあ、あの、風が「両想いだってよ」って便りを運ぶ絵は・・
安次嶺 あ〜、あれは、高校生になった時の娘ですね。
無意識にそうなってると思うんですよ。
言われるんですよ、似てるねって。親族とか身内に・・。
黒瀬 なるほど。あの絵は両想いってとこまでですけど、今後は恋人と仲睦まじい絵なんかも・・・。
安次嶺 ってなったら、男性側のモデルは僕です!!笑
アハハハッ(笑)
黒瀬 そっか〜(笑)
良いですね♪自由に愛を込めつつ自分の世界観を描けるので。
安次嶺 まぁ、良い人が出来れば良いとは思うんですけどね〜。
だから・・僕、娘が「結婚します」とか言って彼氏を連れてきた時には、その彼氏と1週間ぐらいキャンプしようと思ってるんで・・・まず。
で、そいつがどういう奴なのか見極めるっていう・・笑
黒瀬 じゃあ、その彼氏が・・・
「俺バンドやってて〜。まだベースとドラムは居ないんすけど〜」
「あと、友達と身内だけで聞くラジオやってて〜」
って言ったらどうします??
昔の俺やん!!みたいなw
安次嶺 うわぁ〜〜〜
迷う〜〜〜!!
「仕事就け!!!!!」って言っちゃいそうw
アハハハッ(笑)
言いそう〜〜
アハハハッ(笑)
迷うなぁ〜〜〜ww
(笑)今日はありがとうございました!!楽しかったです♪
安次嶺 こちらこそ、ありがとうございます。
自分も、楽しかったです♪
インタビューはここで終了となりました!
粒さんらしい、素直で可愛い・・終わり方(笑)
安次嶺 周さん、本当にありがとうございました!!
今後も、粒マスタード安次嶺としてのパフォーマンス、イラストレーターとしての活動を楽しみにしています♪
安次嶺 周(アシミネ シュウ)/イラストレーター・パーティーダンサー
1980年 沖縄生まれドラゴンボール世代
2002~2009年 インディーズバンドNEWTOWNERのMCとして活動。
2010年 イラストレーター兼パーティーダンサー粒マスタード安次嶺 始動。
【パフォーマンス】
■X FACTOR OKINAWA JAPAN2013 ベスト9選出
■Mongol800 ga FES 2014 What a wonderful world13+14、16
《People People 2015 Tour》初日(沖縄市民会館)最終日(中野サンプラザホール)にて「OKINAWA CALLING」ゲスト出演
■RYUKYU GOLDEN KINGS 2016年シーズン最終戦bjリーグラストゲーム ハーフタイムショー出演
■ROCK in on JAPAN2017 モンゴル800ステージにて「OKINAWA CALLING」ゲスト出演
【作家活動】
■沖縄、大阪にて個展開催
■沖縄・東京・大阪・名古屋・NYのグループ展に出展参加
■マーベル展IN沖縄(2017)にて、コラボアーティストとして出展参加
■絵本「Little new life」自費出版(クラウドファンディング)
粒マスタード安次嶺
安次嶺 周さんと繋がるには?
ホームページのお問い合わせフォームかSNSのメッセージからご連絡下さい。
編集後記
インタビュワー:黒瀬 圭 Kei Kurose(株式会社ドリームテラー代表)
インタビューを終えて、温かくて愛情の深い人という粒さんの印象はさらに強まったんですが、本当に素直で可愛い人だなぁ〜と・・。
人柄に憧れますね♪
そして、元々名前は知っていたものの、インタビューをキッカケに「ニュータウナー」の楽曲をちゃんと聴いたら、これがもうめちゃくちゃカッコ良くて最高でした♪♪
あっ、自分はファンク系も好きなんだ!!って新しい発見もあったり・・
とにかくオススメです!!