アナウンサー、ウェディングプランナーを経験した私にだから出来る「新しいカタチの終活」を提案していきたい!
元アナウンサーという経歴を持ちながら、現在は「終活プランナー」として活動をされている倉持さん。
同じ大阪出身ということで、かなりざっくばらんとした(笑)の多いインタビューになりました。
サービス精神が高く、常に相手の立場にたって親身に考えてくれる、魅力にあふれる女性です。
取材日:2017.11.30 インタビュワー:黒瀬 圭の詳細はコチラ
恵美さん今日はよろしくお願いします!現在の「終活」に関する活動に辿り着くまでの、ストーリーを詳しく聞かせて下さい♪
大阪の生野出身という事ですが、僕も大阪出身で生野にも住んでましたよ。
倉持 はい!よろしくおねがいします!
同じ生野区。
ディープ仲間ですね!笑
めっちゃディープな生野区の端っこの、鶴橋と今里とか、焼肉屋と飲み屋街のところで酒屋をやってたんですよね、家は。
角打ち(かくうち)の酒屋で、酔っぱらいのおじちゃん達に育てて頂いたら、「こんなのが出来上がった」って感じ(笑)
角打ちっていうのはどういうのですっけ?
倉持 酒屋の店頭でお酒が飲めて、もちろんその後ろにはお酒も売ってて・・というような。
最悪、その横に質屋もついてたんで〜。なんかあったら時計を置いて帰らはる・・・みたいな(笑)
うわっ〜笑 質屋まで!いかにも関西人らしい泥臭い感じですね♪笑 幼少期はずっと大阪だったんですか?
倉持 はい。大阪で小・中・高、大学は兵庫県でしたね。
中学が本当にヤバくて、スクールウォーズみたいな学校でした。
あっ、スクールウォーズって知らない??
黒瀬 知ってますよ!あのラグビーのやつですよね。
倉持 そうそう!
教室の後ろで麻雀やっている人がいる、タバコ吸ってる人がいる、窓ガラスは割れててダンボールが貼られている。
どうせ、また割れるから当分修理しません。。
みたいな(笑)
これはヤバい!!って思って、高校からは私立に行ったんですよ。
アナウンサーという夢に向かって
さすが生野区!笑 高校、大学の頃にはもう将来の夢や目標はあったんですか?
倉持 そうですね。
元々、私はアナウンサーになりたくて。
大阪と東京でアナウンサー試験を受けたんですけど、落ちちゃって。
それで、地方局をうけて周るだけの元気も出なくて・・
で、そのまま一旦アナウンサーは諦めて、自動車メーカーの広報部署に就職して、車のコンサルティング業が半分、土日とかイベントがある時は、車の横で立っているお姉さんをやってたという感じですね。
おー!最初は会社員だったんですね。
倉持 はい。
でも、2年働いて、辞めて・・・
「やっぱりアナウンサーを目指しつつ、タレントとして生きよう!!」と思って
大阪でアナウンサーさんの事務所に入ったんですよ。
でも、まぁ〜安いんですよね。お金が・・笑
これじゃあ生活していけないっていうレベルだったので、私にやらせて頂けるのであれば!!という感じで、とにかくマイクを握る仕事は色々やりました。
ナレーターやイベントMC、キャンペーンガールなどなど。
なるほど。事務所に入っても給料が出るわけではないですよね?最初のうちからアナウンサーのような事は出来たんですか?
倉持 ですね。
固定給はなくて、1本いくらという感じで。
ニュースを読むようなアナウンス業はテレビ局に属していないと来ない仕事なので、主に番組アシスタントとかレポーターとかの仕事をしていましたね。
大阪のTV局の色々な番組のオーディションがあって、受かったら何かの番組でレポーターが出来て・・って事なんですけど、そういう露出があるものは中々受からないんですよね。
なかなか厳しい世界でした(苦笑)
で、そこから結婚式の司会をやったり、イベントのナレーターをやったりする中で、ご縁などもあって、ウェディングプランナーの仕事に携わるようになって、名古屋に移ったんですよ。
ウェディングプランナーという仕事との出会い
その時期は、ウェディングプランナーの仕事に意識が高まってたんですね。
倉持 そうですね。
ウェディングの司会をしている中で、司会者ってほとんど、「司会の打合せ」と「当日」しか話をしないので、それだと新郎新婦さんに想いをもっと込めれない・・・と思って、お花とかドレスを勉強して、一からプランニングをした中で「倉持さんに司会もして欲しい!!」ってなったら、「司会もできますよ〜♪」っていうプランナーになろうと思ったんです。
それで、名古屋の会社が東京に出店するっていうので、そこの立ち上げを手伝いにいったら、いきなり「名古屋の店長をやって!」って言われて、そこに飛ばされて、名古屋で1年ぐらい店長をやってました。
そして沖縄へ・・・
そうだったんですね。っていうか、なかなか沖縄が出てこない!笑
倉持 えっと(笑)
実は沖縄に来たのも、結婚式の司会がキッカケなんですよ。
友人に沖縄での結婚式の司会を依頼をされて、人生で初めて沖縄に来たんです。
前から沖縄に興味はあったんですけどね。
ちょうど充電期間のようなタイミングだったので、この機会に沖縄を色々見て回ろうと思って。
で、色んなところを見て回るうちに、マンション見つけちゃって、契約しちゃって、車買っちゃって〜。
「もう、私住みます!」みたいな(笑)
(笑) 関西人のノリでは済まされない感じ。「衝動住み」ですね、これは
倉持 もうね〜、なんで沖縄?って聞かれるのが一番困る
説明がムズカシイッ!笑
「呼ばれた」とだけ言っておきましょう!笑
もう、あえてツッコまないでおきますね(笑)沖縄に来て、最初はどんな感じだったんですか?
倉持 最初は海に憧れるないちゃーって感じでしか無くて、北谷とかあっちらへんを見に行った結果、どこも空いてなくて、まさかの屋慶名に住むっていうね(笑)
伊計島の手前の、浜比嘉とか海中道路の近くの島ですね。
散々、「HYのファンか??」ってツッコまれました。
仕事も全部やめて、今までの関わりも何もないまま沖縄にきて・・。
そこまで余裕がある訳ではなかったんですけど、少しゆっくり過ごそうかなと思ってました。
沖縄で声の仕事を再開。そして念願の・・・
じゃあ、沖縄に来てすぐにアナウンサーや声のお仕事を再開したわけじゃないんですね。
倉持 そうそう。
しばらくはゆっくり・・と思って生活をしてたんだけど、環境的に余りにも寂しい場所に居たのと、私の事を沖縄の放送局に言ってくれた人が、東京に何人かいて。
「プロフィールだけでも持っていっておいたら?」って言われたから、それでQABさんにご挨拶にだけ行ったんですよ。
それからしばらくして、QABさんから「アナウンサーを募集しているので、受けに来てくれませんか?」って声をかけてもらって、QABで土日のニュースを1年やりました。
その後一旦やめて、今度はRBCのラジオで朝の番組を2年、料理番組を3年やってたんですけど、今度はQABがキャスターを必要としているという事でお声がけを頂いたのでラジオをやめてQABにもう1回戻ったんです。
おー!ついにキャスター!!ですね。
倉持 はい!夕方のニュースで。
一番やりたかったニュースキャスターの仕事を出来たのが、40歳手前です。
20歳の時に落ちたね・・。
えっ、40手前?いまおいくつでしたっけ??
倉持 今43歳!
あっ、そんなですか!?
倉持 (笑)
そんなですよ〜!
ハハッ!!笑
言っても〜た??
そんないってんの??って事よね??
素直な驚きが!勘違いです!(汗)この間、出身も同じだね〜って話をして年齢も一緒ってインプットされてて。。
倉持 そうそう!「出身も同じで、沖縄に来てからの年数もだいたい同じだね〜」って話をしてたからね。
そういう事にしておきましょう!笑
今、43なんですよ。
で、42歳まで放送系のところに関わらせてもらったんですけど、アナウンサーの仕事を辞めてからは1年はゆっくり「学生の頃に出来なかった事をしよう!」と思って、セブ島に短期留学にいきました。
その期間に、これまでの自分の人生を振り返りつつ、自分と向き合って今後の活動についてもじっくり考えたんですよね。
「終活」というテーマとの出会い
ずっとやりたかったキャスターの仕事を辞めてしまったんですね。
倉持 そうですね。
契約期間が終了したってだけですけど、2016年12月いっぱいで放送局の仕事からは離れました。
またラジオとかね、放送に関わる仕事を続けるっていう選択肢もあったと思うんですけど、放送局時代に、自分が企画にも関わって番組作りをする中で、色々と感じることもあって、自分自身でチャレンジしてみたい事が生まれたと言いますか・・。
それが「終活」というテーマなんですけど。
終活に関わる最初のキッカケは放送局時代にあったんですね!
倉持 そうですね〜。具体的な取り組みとしては、放送局時代かな。
終活自体に興味をもったキッカケはもっと昔にあって、自分のおじいちゃん・おばあちゃんが亡くなった時に、父方のおじいちゃんは残念な亡くなり方をしたというか、何の準備もしていなかったので、お墓も無いし、茨城県に住んでたのに、誰も看れる人がいないという事で、突然大阪に連れてこられて・・。
で、相続の話もできず、お金があるのか、どこにあるのかも分からない、遺影写真も無い・・という感じだったんですよね。
母方のおばあちゃんの方は、パーキンソン病になってて治らない難病だったのに、結構自分の身辺整理をちゃんとして亡くなったので、お葬式のおくられ方がカッコイイというか、「色んな事を決めて、おばあちゃんのやりたい事ができたね〜」という感じの終わり方を見て・・・
こんなに死に様に違いって出るものなのか〜・・・って思った時に、「終活」っていうものを、もっと分かりやすく、かつ重々しくならずに、面白おかしく伝えられないかな?って考え始めたんですよね。
だから、番組制作の時は、芸人さんに終活をテーマにした漫才をやってもらって気軽な感じで啓蒙しつつ、複雑な問題については専門家が出てきて説明する・・みたいな感じでやってました。
なるほど〜。恵美さん自身の体験もあったんですね!でも、確かに終活に意識を向けるキッカケを作るって難しそうですね。
倉持 そうですね。
葬儀社さんや霊園の方と話をしていると、彼らは彼らで、より良いものを提供しようと色々な試みもしてるんだけど、壁が有り過ぎて一般の人に伝わらない。
葬儀の相談に来た人は「ありがとう」って言ってくれるけど、「もっと早く相談してくれたら、色々な事が出来たのに・・」っていう、話を聞くと、もっと伝わる仕組みを作って、繋げたいなって思ったんですよね。
結婚式の場合だと最低でも半年前から打ち合わせするっていうのをずっと見てきたので、大きなセレモニーにお金をかけて、参列者もいるっていうのは同じなのに、葬儀の場合は「何で数時間のうちにプランを決めないといけないのかな?」って思って。
そっか!ウェディングプランナーとしての経験や想いが、「終活」の考え方にも繋がってるんですね!
倉持 確かに、そうですね。
真逆のようなものに思えるかもしれないけど、どちらもプランナーや的確なアドバイスをくれる人と一緒に、時間をかけて、想いを込めて取り組むべきものだと思いますね。
終活の大切さ、意義を伝えたい!
実際、終活を始める取っ掛かりってどういう?子供から親に終活を勧めるっていうのは難しそうだし、やっぱり高齢の方、ご本人が相談にくる感じですか?
倉持 えっと、それって多分「葬儀」の事ばかりに意識がいってるからだと思うんだけど、終活の一番最初って「人生の振り返り」なんですよね。
だから、いきなり「亡くなった後どうする?」っていう話じゃなくて、その人生の振り返りを一緒にするっていうだけでも変わってくる。
写真を整理しようとか、そういう軽い感じからが一番ハードルが低いかな〜。
なるほど、最近だと自分史を雑誌風に残すサービスとかも有りますしね。
倉持 そうですね〜。
あとは、「お金」ってみんな気になる事だと思うんだけど、相続の話でも、生前贈与で年間で一定額を超えなければ贈与税としての課税をされないって法律があったりするんだよね。
だから、例えば孫の学資保険の代わりに毎月一定額を援助するような形でお金を移していくと、節税にもなるし、子供や孫のためにもなるじゃない??
もちろん他にも色々な方法があるし。
お金で愛情を図るわけでは無いけど、方法を知っていれば、後から無駄な時間を使った上、思い通りにいかないって事も避けられるし、良いと思うんですよね。
そういう話から、考えるキッカケにもなるしね。
お金、家、病気、色々な事がキッカケになりそうですね。
倉持 そうです。
「病気になったら、介護誰がする?」「この家どうする?」っていうような話でも、「あの家お母さんが気に入ってるから売られへん・・。」と勝手に思い込んでいたものが実は親は「要らん!」って思ってるかもしれないし、ちゃんと話し合っておけば「良い時期に売っておこう!そのお金でこうしよう!」って事にもなるかもしれないし。
だから、「ライフプラン作りを一緒にやりましょう」っていうのが、相談をうけた人やセミナーにきた人に必ず言ってる事ですね。
こういう未来も含めた自分年表のようなライフプラン表を一緒に作っていく感じです。
「60歳になった時に、子供がいくつで、孫がいくつで・・」って考えていくと、どこでお金がかかるか分かってくるようになるし、「じゃあ、ここでは旅行に行こうね〜♪」みたいに、やりたい事がドンドン出来てくる。
そうすると長生きしたくなるし、楽しみが増える♪ってなるから、家族とか周りの事も含めて考えることは、「死ぬ準備をするって事ではなくて、今を楽しむ事に繋がるんですよ〜♪」って話をしています。
確かに比較的若い世代にとっては、保険や家を購入するようなキッカケから「ライフプラン」を考えるっていうのが一番スムーズな気がします
倉持 そうそう。
終活やエンディングノートって「終」とか「エンディング」って言葉が使われてるから、老人が書くってイメージをもたれやすいけど、「人生の設計をする」、「台本をつくる」って意味では全然、中学生や高校生が書いても良いと思ってる。
振り返りっていう視点だと「感謝する人は誰?」とか「この時期この人と仲良かったよね♪」とか、「この人にまた会いたい!」っていうのが必ず出てきて、「ありがとうって感謝の気持ちを伝えようかな」って感情が芽生えたりもするんですよね♪
素敵ですね♪ 直近の活動としては、セミナーや相談会のようなものですか?
倉持 そうですね。
それと今、霊園の方や、お寺の方など終活や葬儀に関わる人達へのインタビュー活動も行っています。
やっぱり、素敵な活動をしている人がいたり、サービスがあっても、それが伝わらないと意味がないので、そういったインタビュー記事も含めて、中立的な立場で、終活や葬儀に関する情報を発信できるポータルサイトのようなものも立ち上げたいと思って準備しています。
おー、インタビュー!大変だけど面白いですよね♪
倉持 はい♪
まずはお寺のお坊さんとかに、死生観を聞いてみたり、「終活」ってものをどんな風に捉えているか?聞いてみたり・・ですね。
1人は、仏教徒の女性のお坊さんで、旦那さんはキリスト教徒っていう人がいて、その人に「死後の世界はどんな風に考えてますか?」って聞いてみたら「死んだらそれぞれの仏様と神様がいるから、私達夫婦は死んだらサヨナラね〜って言ってます」とかって話が聞けたり(笑)
ピンクの霊柩車を持っている葬儀屋さんに「どういう人が利用するの??」とか、「それを使っている人はどんな風なおくり方をしてるの?」って聞いてみたりとかね。
「沖縄の某アーティストのお母さんをおくる時は、これでした。全員でピースで写真撮りました!」とか、それぞれの葬儀のやり方とか価値観・捉え方が変わってきている事を知っている現場の人に話を聞きに行ってますね。
高齢者の方に直接インタビューをするって考えもあるんですか?
倉持 そうそう!やりたいと思ってる。
「1分間のラブレター」っていうものをやりたいと思ってて。
エンディングノートって人生を振り返って、色んな人への想いを書いてもらう事もするんですけど、その中で一番強い想いの部分、「この人にこのメッセージを伝えたい!」っていうものを1分間のラブレターとしてスピーチしてもらって、それを音声に残してプレゼントするという事をやっていきたいんですよ。
終活のアドバイス、プランニングを一緒にさせて頂く方には、「1分間のラブレター」もセットで作成させて頂こうと思ってます。
基本は音声ですけど、希望があれば動画でも♪という感じで。
やっぱり自分が長年「声の仕事」に携わっていたという事もあって、音声や映像がしっかり残るっていうのは大切だと思うので。
なるほど!最初は正直、アナウンサーから何で終活?って思っていたんですが、恵美さんはやっぱり声の仕事というか「伝える」という事が軸にあるんですね。
倉持 そうですね。
ウェディングプランナーの仕事も、アナウンサーや声の仕事も、今の「終活」の取り組みに活かされていると思います。
まだまだ始まったばかりで、これからが勝負なんですけどね。
取材して生の声を聞いたり、情報を収集して、それを正確に伝えるっていうのは基本として染み付いてますね。
後は、散々インタビューやトークショーなどもやってきたので、専門家と一般の人の間に入って、難しい内容を一旦噛み砕いて分かりやすいものにしてから伝えるっていう作業は得意かもしれないですね。
倉持 恵美さんが繋がりたい人/提供できる価値
恵美さんはどういう人と繋がりたいですか?
倉持 固定概念を壊してくれる人と会いたい。
最初は突拍子もない事を考えられるのに、調べれば調べるほどちっちゃくなってしまうし、やればやるほど守りに入る方に行きそうになったりするから「違うんだっ〜!!」「自分はこうだっ〜!!」って勢いでやってる人、みたいな(笑)
人って、当たり前の「中の上」を求めたがる方が多いじゃないですか。
それって安心だから。
でも私にはそれは合わないっていうか、面白くなくて。
だから、業種とかジャンルは関係なく、自分の価値観とか固定概念を壊してくれる人と出会って刺激をもらいたいですね♪
逆に恵美さんが提供できる価値はどういったものだと思いますか?
倉持 そうですね。
今度の終活のやつも「笑う終活」っていうテーマでコラムも書こうと思ってるんですけど、笑うと幸せホルモンが出て元気になるし、ガン細胞も減るかもって言ったりするし、自分と関わってもらえたら「明るくさせますよ♪」っていうか「気持ちを楽にさせますよ♪」って事は言えますかね♪
メッセージ
最後に、恵美さんの「誰に」「こういうメッセージを伝えたい」という想いを教えてください
倉持 「自分の事を好きになって下さいよ〜♪」というのは、私のテーマでもありますね。
自分を好きになれていない人には特に。
自分の中で自分をしっかり整理して、家族や周りの大切な人への感謝の気持ちを持って「ありがとう」とか「ごめんなさい」って言える人になって欲しい。
それが私のメッセージですね。
倉持 恵美さんの「仕事の流儀・人付き合いの流儀」
あっ、もう一つ聞いてみたいことが!恵美さんの「仕事の流儀」や「人付き合いの流儀」ってありますか?
倉持 う〜ん。
一つは、専門職は、プロに任せるって事ですね。
協力してもらう方に自分の想いを伝える努力が必要になりますけど、それぞれが持っている良いものをかけ合わせて、結果的により良いものを提供していきたいって思ってます。
あと、私は・・
「選べる力を身につけてあげたい」っていうか、「つけて欲しい」と願っていて。
「こういうのが良いですよ!」「良い商品持っているので、これを買って下さい!」っていう提案の仕方は苦手なんですけど、そうじゃなくて、「どうしたいのか?を自分で決めたら、その商品が良いものか、悪いものかは貴方自身が判断できますよ」っていう風にしたい。
実は私は自分自身のエンディングノートの中で「自分のお墓は要らない」、「骨は海に撒いて欲しい」って事を書いてたりするんですけど
それに対して「じゃあ貴女はお墓は要らないと思ってるんですか?」って感じで言われると
「お墓を持つことが悪いことだとは思っていない。私が自分のお墓が要らないと思っているのは、ちゃんとこういう理由があって・・・海に撒くっていう事も悪い選択ではない。という考えを持っているだけです」って答え方をしています。
セミナーや相談の時に、私が自分の考えを話す時は、提案とかアドバイスって事ではなくて、あくまで自分の例を出して選択の幅を伝えるというか。
「お墓は持たないと行けない!」とか「◯◯はこうじゃないといけない」っていう固定概念に縛られまま生活していると、苦しくなることもあるよね??って気づいてもらえるような話をしたいだけなんです。
「お墓を持ちましょう!」「お墓はやめましょう!」とか、すぐに「どっち派?」みたいに分類する感じは嫌い。
たまに「どっちにも良い顔してるよね?」とか言われる事もあるけど、「良いですよ〜。八方美人なので♪」って言う(笑)
世の中100%良い、悪いってものは無いと思うし、「自分に合ったものを決められなかった自分が悪い」という考え方。
だから、私自身、ちゃんと自分を持たないと!って思うし、関わる人が自分に合ったものを選び取るためのお手伝いをしたいっていう気持ちが強いですね。
なるほど〜。「人に正しい情報を伝えて、自分に合ったものを選び取るお手伝いがしたい」という想いは、ウェディングプランナー、キャスター、終活の活動まで、終始一貫してますね。
倉持 そうですね。その部分はブレていないと思ってます。
私が出会った言葉の中で「信じるな、疑うな、確かめろ」っていう言葉があって。
その言葉をもらった時に「うわっ!!」って思ったんだけど・・。
「信じるな」は、人から良いって勧められてやったりした時に、当然自分に合わない事もあるのに「◯◯さんが良いって言ったのに!!」って怒ったりしたらダメだよって事で、受け取った情報を信じ過ぎる事はダメだよって事ですね。
「疑うな」は、どうせダメだからとか、私には出来ないことだからっていう風に、否定から入って何もやらないのはもったいない。やってみる事が大事!っていう事。
「自分の可能性を疑うな」って意味になるかな。
「確かめろ」は、全て、自己責任で判断するんですよ、だから自分で確かめる行動をとる必要がありますよって事ですね。
おー!これって報道の姿勢そのものにも聞こえるし、真実を掴んで自分自身を成長させるための言葉でもありますよね!この言葉はどこで出会ったんですか?
倉持 これはね、ヨガの先生から教えてもらったんですよ。
「自分の心の声を信じましょう」っていうような精神世界のやんわりとした話の中で出てきた言葉なんです。
本当に、自分を成長させるために、良い言葉だな〜って思って。
今の時代、情報が溢れすぎて、何を信じて良いのかわからなくなりますよね。
だからこそ、これからも、もっともっと自分で踏み込んで、選び取って前に進んでいこうって思いますね。
てっきりキャスター時代の上司の言葉とかだと思ってしまいました(笑)
自分にとっても金言になりそうです♪
恵美さん今日はありがとうございました!
倉持 はい。
こちらこそありがとうございました!
楽しかったです♪
以上で取材は終了となりました。
恵美さん、本当にありがとうございました!
インタビュー記事なので、多少しっかりした文体に直してますが、実際はもう少し関西弁が飛び交う感じで、今更ですが記事を読む時は、できれば関西風のイントネーションを浮かべながら読んで欲しいなと思います(笑)
倉持 恵美さんの「終活」に関する活動はこれから本格的に始まっていくという段階ですが、早速2018年から色々な動きがありそうですよ。
想いが強く、行動力もある方なので今後の活動も楽しみですね♪
倉持 恵美(クラモチ エミ)/終活プランナー
大阪出身。大阪、東京でTVアシスタント/レポーター/ナレーターなど長年「声の仕事」に携わり、ウェディングプランナーも経験。
沖縄移住後も活動を継続し、アナウンサー、ラジオパーソナリティを経て、現在は「終活」プランナーとして活動中。
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編集後記
インタビュワー:黒瀬 圭 Kei Kurose(株式会社ドリームテラー代表)
実はインタビューをした時点でお会いするのは2回目だったんですが、同じ大阪出身という事と恵美さんの人柄もあって、ずっと前から知り合いだったかのような笑いの溢れるインタビューになりました。
一見、色々な活動をしているように思えて、活動の軸がブレず筋が通っている事も素敵だなと思ったし、なんというか本当に真っ直ぐな人だなという印象です。
これからポータルサイトのお手伝いなどでも一緒にお仕事をさせて頂けるのが楽しみです♪