演じる事を楽しみながら「経験」を若い世代に繋いで、沖縄の演劇界の底上げをしていきたい!
沖縄で役者やシンガーとして活躍中の出口さん。
舞台を拝見して、その後一度お会いしただけだったので、じっくりお話をするのは初めてだったのですが、すごく奥深い経験の持ち主でした。
取材日:2017.12.01 インタビュワー:黒瀬 圭の詳細はコチラ
今日はよろしくお願いします!出口さんは沖縄出身・・ではないですよね?
出口 はい。よろしくお願いします!
そうですね。
生まれは兵庫県の姫路で、育ちは東京です。
沖縄は平成元年にきたので、もう30年近くになりますね〜。
今、53歳なので人生の半分以上が沖縄です!
幼少期について
沖縄めちゃくちゃ長いですね!幼少期はどんなお子さんだったんですか?
出口 ですね。
だから、今舞台とかで一緒に動いている若者たちの人生よりも長いです(笑)
父が東京で、母が兵庫の姫路だったんですけど、しばらく おばあちゃんのところに預けられていたので、小学校の途中までは姫路でした。
その頃から芸能活動に興味があって・・。
ちっちゃい頃から、コタツの上に登ってマジックを持って歌うとか、そんな感じの子どもでしたね。
母方では長女の初孫だったので、蝶よ花よと可愛がられて、「世の中、うまくいかない事なんて何1つない!」と思って育ちました(笑)
じゃあ学校では目立つ方だったんじゃないですか?
出口 そうだったかもしれないですね。
兵庫から東京の杉並に移って、小学校時代に学校で見に行った「子どもミュージカル」の歌を気に入って、みんなに広めて、掃除時間に歌いながら掃除をするとか。
あと、当時「ベルサイユのばら」が流行っていたんですけど、それを全部、小学生の私の演出・脚本でやって、お楽しみ会とか学芸会で披露したりとか。
脚本っていっても、元々宝塚であるものなんですけどね。
小学生のお楽しみ会で「ベルサイユのばら」ってスゴイですね!
出口 自分が目立ちたい!というだけじゃなくて、自分が好きな「ベルサイユのばら」の世界観を見せたい!伝えたい!と思って。
もちろん1人ではどうにもならないので、興味の無い子たちも引き込んで、演出もつけてって感じで。
とにかくお芝居がしたかったんですよね。
先生たちはビックリしてました(笑)
最初はお楽しみ会でやったんですけど、それを先生たちが「スゴイ!小学生にしてはクオリティが高い!」「全校生徒に見せたい!」って言ってくれて、結局、体育館の舞台の上で全校生徒向けにもやったんですよ。
小学生の頃から、お芝居に興味があったんですね。夢は女優!という感じだったんですか?
出口 実は、うちの母が宝塚の大ファンで、親戚には宝塚に入ってる人もいたんですね。
だから私も小学校、中学途中ぐらいまでは宝塚に入りたい!って思ってました。
そっか!元々は兵庫ですし、お母さんの影響もあったんですね。宝塚の入学条件ってどういう決まりですっけ?
何歳の時点でって事ではなくて、「中卒〜高校卒業」までの期間、受験資格があるんですよ。
中卒で受ける人もいるし、途中の時期でも。
高卒が一番最後のタイミングですね。
音楽学校に通う期間は「2年間で卒業」というのは決まってますが。
宝塚は、ご存知だとは思いますが、とにかく狭き門です。
芸能活動のスタート
実際、宝塚を受けたんですか?
出口 いえ、受けてないです。
小学校の途中で東京に移ったし、その頃に「劇団若草」っていう児童劇団に入ったんですよ。
坂上 忍さんとか、斉藤 こず恵さんとかがいた劇団ですね。
坂上 忍さん達も同時期に劇団にいたんですか?
出口 そうですね。
同じ時期にいたんですけど、もうその人達は、子役のスターでしたから。
手の届かない感じで。
その時期から「宝塚以外の演技の道に入りたい」って考えるようになったんです。
ただ、やっぱり手段が分からないので、どうしたものかなと・・・。
で、ちょうどその頃に、近所を歩いていたらモデルクラブのスカウトさんに出会って、スカウトされたんです。
よくある感じですよね(笑)
近所というと、どこですか?
出口 中野ですね。
中野ブロードウェイで♪
なので、小学校の高学年〜中学生の間は劇団に所属していたんですけど、高校ぐらいからは芸能活動を始めてましたね。
モデル事務所を通じて、色々なオーディションをうけて・・。
「スター誕生!」ってご存知ですか?
あの番組のアシスタントをさせてもらったり。
知ってます!「スター誕生!」ってめっちゃメジャーじゃないですか!? アシスタントっていうと番組に出演して?
出口 そうです。
番組に出演して、歌を歌ったり、「今週の合格者には〜◯◯」ってスポンサー紹介をしたりとか。
それとか、今は亡き、山城 新伍さんのクイズ番組のアシスタントもしてました。
あとは、テレ朝の天気予報のカバーガールとか、イベントとか、そんな事をしつつ。
高校時代はアシスタント、イベントの仕事が多くて、ほぼ全国を周りましたね。
沖縄だけは来なかったですけど(笑)
長年の想い・・・お芝居の世界へ
アシスタント、イベントの仕事中心から、どういう風にお芝居の世界に移っていたんですか?
出口 とにかく、ずっと芝居がしたかったので
「これは違う!芸能活動を続けていても・・・違う!」って思って、モデル事務所を辞めたんですよね。
それまでの間も、ミスセブンティーンっていう大きな歌のオーディション大会で最終までいって、グランプリは獲れなかったんですけど、「君にも賞を上げるよ」って言われた時に「いや、私は歌の番組でアシスタントやってるので、オーディション番組でアシスタントやってる子が他の番組で落ちました・・では、示しがつかないので、辞退します!!」って言って断ったんです。
生意気ですよね!?10代の小娘が(笑)
確かに。「出といて何や!!」ってなりますよね(笑)
出口 当時はプロデューサーの方に「君をアイドルにする!」「TV局が総力を上げて第二のピンク・レディーとして売り出すから!」って事も言われたんですけど、それも断って・・笑
ずっと、頑なに「私は役者になりたいんです!」って言い続けていた感じで。
モデル事務所から、お芝居に強い事務所に移籍して・・とか、そういう手段みたいなものも全然わからなかったので、とにかくモデル事務所を辞めたんですよね。
それから、ピンク・レディーのミーちゃん、草笛 光子さんの商業演劇のミュージカルのオーディションを受けて、それに受かって台詞も頂けて。
その後、そこの演出家の方から声をかけてもらって、演出家さんの事務所に移って・・という流れで。
役者としての本格的な活動はそこからですね。
じゃあ、モデル事務所を辞めた後は、一旦フリーみたいになってたんですか?
出口 いえ、一旦間に、私を預かってくれるっていう事務所に入ったんですけど、そこも辞め・・・笑
その事務所は、その後バブルガム・ブラザーズさんが世に出て、力をつけていったんですけど、ちょうど「これから一緒にやっていこうね〜♪」って言っていたタイミングで私は辞めちゃったんです(汗)
スゴく勢いのあった時代なんですね。色んな人が出てくる!
出口 そうですね。
人生の選択を誤ったのかな・・。
生意気な時期を過ごしていて。
でも、あります?後悔というか、この時こうしておけば・・・っていう
出口 うん!
また違う人生だったのかもしれないな・・っていう。
もし当時、今の感覚だったら・・やりますよね。
TV局が総力を上げて〜の時の、アイドルの話は絶対やります!
ミスセブンティーンの受賞の方も、素直に受け取りますよ。
あと、もう一個あった!
長戸 大幸さんっていう音楽プロデューサーさんがいるんですけど、BOØWYやB'zをプロデュースしてデビューさせたりした有名な。
当時はMi-KeとかZARDとかね。
とにかく色んな人をプロデュースしてて。
その人にもスカウトされて、しばらくボイトレとか通ってたんですけど、それも「芝居がやりたいんです!」って断ってしまって(笑)
スゴイ!音楽方面では注目されていたというか、才能を認められていたんですね。
出口 才能っていうか、まぁ若かったので。
可能性がある・・という感じだったのかな。
強い後悔っていう訳ではないけど、違う人生も経験してみたかったな・・っていう想いはありますね。
だから、今の若い子達で同じような事で悩んでいる人がいると、「絶対、やっといた方が良いよ!!」って言います(笑)
ようやく、やりたい役者の仕事で舞台などに出られて、しばらくは東京で活動されていたんですか?
出口 そうですね。
10年ぐらいは役者として東京を拠点に活動して、おかげさまでミュージカルや舞台など、色々な作品に出させて頂きました。
それで、結婚を機に沖縄に移住したんですよね。
沖縄の水納島に。
そして沖縄へ・・
水納島ですか!?離島ですよね?
出口 はい。
水納島でダイビングをやっている内地の方と結婚して、しばらく島で過ごして、ダイビングショップをやってました。
その時はしばらく芸事から離れてたんですけど、辞めたっていう認識ではなくて、あくまでも「休憩」って感じで。
離婚して水納島を出てからも本部(もとぶ)の方で、ホテルで働いたりしながら暮らしてましたね。
そうなんですね。なんで沖縄を離れなかったんですか?
出口 何でなんですかね〜。
やっぱり子育てするには良い環境だなって思って。
沖縄に着て1年目とか、最初は嫌でたまらなかったんですよ(笑)
今まで都会だと、隣の人にも話しかけられたりしなかったのに、沖縄の人間関係のスゴく近い感じが「干渉されてる」、「監視されてる」ような感じがして。
でも、それに慣れると「あっ、これが人間だな」「生きる場所だな」って感じるようになってきて。
なるほど。子どもの教育的なことだけじゃなくて、出口さん本人も人間らしく、自分らしくいれるような・・。
出口 そうですね。
やっぱり都会に疲れてたんですかね(笑)
ただ、育児も大変だったし、しばらくは必死で「生活する事」に集中してましたね。
子どもとの関わり
お子さんは何人いるんですか?
出口 3人います。
長女が27、長男が19、一番下の子が14歳で、最近アイドル活動してます。
沖縄にいるのは一番下の子だけで、他は県外ですね。
芸能活動に興味があるのが一番下の子だけで
長男の興味は野球、長女は自分がやるんじゃなくて、アイドルを応援しているっていう(笑)
そうなんですね!芸能活動に興味のある一番下の子にいつも伝えている事ってありますか?
出口 まだ中学2年生なので、活動を始めたばかりの段階ですけど、今年5月にやった舞台でアンサンブルで出演させたんですよね。
環境も、その子の父がミュージシャンで、私と2人でユニットを組んで動いていたり、幼い頃から両親が歌ったり、お芝居したりっていうのが普通で育ってるので、自然と「自分もそうなるんだ」って思っている感じで。
小さい頃は、「みんなのお父さんもギターを弾くもんだ」って思ってたみたい(笑)
で、自分の子には「とにかくプロ意識、自覚を持ちなさい」「いい加減な気持ちだったら辞めなさい」って厳しく言ってますね。
普段、母親としての意見は全然聞かないんですけど、芸事になるとスイッチが切り替わるのか、先輩から話を聞くって感じでしっかり聞いてくれます。
沖縄で演劇の活動を再開
これからが楽しみですね♪
話が戻りますが、出口さん自身は、いつ頃から本格的に沖縄で芸事というか演劇の活動を再開したんですか?
出口 結構、ブランクがありましたね。
ただ、音楽の方は早くからやってたんですよ。
仲間と璃音〜RION〜という無国籍音楽活動ユニットを作って活動してました。
ホテルで歌ったり、ライブハウスにバンドメンバーとして入ったりとか。
沖縄の演劇の市場が分からなくて、どこから入り込んで良いのかも分からかなったので、身近な音楽の分野から活動を始めていきましたね。
沖縄って音楽が盛んだし、自然というか身近にあるじゃないですか。
演劇に関しては・・
劇艶おとな団(げきしょく おとなだん)ってわかりますか?
当山彰一さんっていう役者さんがいて、その人の同級生の男性から「オヤジ劇団みたいなものを一緒に作ろうぜ!」って話を頂いて、私と彰ちゃん以外は演劇未経験の社会人っていう感じのメンバーだったんですけど、「劇艶おとな団」という劇団を立ち上げたんですよ。
私もその立ち上げメンバーなんです。
彰ちゃんからも「一緒にやろうよ〜」って声をかけてもらって。
「じゃあ、リハビリする〜♪」という感じで。
しばらくはその劇団で活動して、おとな団を抜けてからはフリーとして活動していました。
なるほど、フリーになると自分で売り込んでいかないと行けないですよね?
出口 そうですね。
ただ、舞台を見ていた人からお声がけ頂いたりする事も多くて。
後は、全然違うブライダル業界で知り合った人から紹介してもらって、そのご縁で舞台に出演させて頂いたり。
出口さんはこういう役をやりたい、こういうテーマの作品に出たいっていう事はありますか?
出口 そうですね。
スゴイほんわかとしたイメージの話になりますけど、やっぱり「みんなが感動したり、笑ったり、幸せになれる」とか「何かを考えるキッカケになる」作品に関わっていきたいって思いますね。
だから喜劇であれ何であれ、しっかりメッセージが伝えられる作品。
「伝える」という事が役者の仕事だと思うので。
最近は演者として出るのもそうですけど、プロデュースをしたり演出に関わって、色々なものを組み立て行くのも面白いなって感じてますね。
僕は元々、演劇は「食わず嫌い」だったんですけど、宮藤官九郎さん作の「万獣こわい」っていう舞台を見てから興味を持って、普天間伊織さんプロデュースのCreepという舞台も拝見させて頂いて・・。
出口 クドカンの世界観ですね♪
Creepも見て頂いてありがとうございます!
あれに出てから、「Creepのお母さんですよね?」って声をかけて頂くことが増えました(笑)
そうなんですよね・・。
結構、演劇は食わず嫌いの方が多くて。
でも、観て頂いたら「こんな世界もあるんだよっ!!」って事を知ってもらえると思います。
だから、是非、今後の舞台も見て頂きたいですね♪
沖縄の演劇界との関わり、想い
最近、沖縄でも劇団が増えたり盛り上がってる印象があります。
出口さんは県外の一線級の舞台にも立たれてきた訳ですけど、客観的に沖縄の演劇界はどういう印象ですか?
出口 そうなんですよ。
最近、どんどん増えてきていて。
私が思うのは・・。
沖縄って立地的な事もあって、内地でやっている大きな舞台の公演がなかなか沖縄まで入ってこないから、そもそも小さい頃から演劇に触れる機会が少なかったり、役者に興味のある人が勉強しようと思っても、舞台を見に行くだけでもお金がかかり過ぎてしまったり。
そういう意味で、演技の基礎を学ぶ機会が少ないと思うんです。
でも、沖縄の方って音楽とかね、芸術的な感覚が優れている人が多いじゃないですか。
潜在能力が高い人はいっぱいいるんです。
だからこそ、もったいないって思ってしまう。
あとは情報さえ入ってくれば・・。
感性の優れた沖縄の若い子達が、しっかりした演出・指導をうけて、演技の基礎やセオリー、見せ方を学べばもっともっと伸びていくと思うので。
なるほど。先程、最近は演出やプロデュースにも意識が高まってきてるっておっしゃってましたもんね。
出口 はい。
以前に、インヘリット沖縄のプロデューサーの西平博人から舞台のオファーを頂いて、演出家の畠山さんの演出を受けた時に、懐かしかったんですよね。
演出の仕方とか。
「これ、これ!」って思って。
今回のナガセ・アイランドの再演では演出助手もさせて頂いたんですけど、私自身の経験も活かして、若い子達にできる限り多くのことを伝えていきたいと思ってますね。
なるほど。沖縄に子ども劇団、児童劇団のようなものってないんですか?
出口 内地で言う児童劇団のようなものはないんですよね。
私の知る限り、役者のプロを意識して養成するような本格的なものは、ほとんど無いと思います。
これは構想というより、本当に夢なんですけど、沖縄でそういう児童劇団、養成所のようなものが出来たら良いなって思ってます。
私が東京でずっとついていた演出家が篠崎 光政さんという方なんですけど、その人は演劇初心者でも「これをやれば演技が分かるよ」っていう、独自のメソッドを持っていて、その方が今、子役を育てているんですよ。
「シノザキシステムキッズ」っていう。
実際、その中から宝塚に入ったり、大きなミュージカルに出たりって人も多いんです。
そこまで大掛かりなものにならなくても、やっぱりこの先の時代を作っていくのは子ども達なので、私も沖縄でそういう活動もしていきたいって思いますね。
メッセージ
いつもインタビューの時に「誰に」「どういうメッセージ」を伝えたいですか?と聞いてるんですが、出口さんの場合はやはり役者を目指す若い方達に・・という事になりますか?
出口 そうですね。
でも、役者に限らず、夢を持ってチャレンジしている若い人達に!という感じです。
メッセージとしては、私自身の経験からも、やっぱり「チャンスが来れば、迷わずそれを掴む事」ですね。
やりたい事をするためにも、まずはチャンスを掴まないと。
そうすれば、後からやりたい事はいくらでも出来るので。
チャンスを掴むために必要なマインドっていうか、行動ってどういうものだと思いますか?
出口 いや、私そもそも掴んでませんからねっ!笑
でも、とにかく「行動する事」ですよね。
頭で考えて何も出来ないよりも、まずはやってみるという事。
それにはやっぱり確固たる理由付けとか、「自分はこの道で生きる!」っていう信念が重要だと思いますね。
私の場合は、その信念で歌とか色々なものを跳ね除けちゃったんですけど、でもチャンスがあれば自分の辿り着きたい場所に行くためのツールとして「まずは乗ってみる」っていう事も大事だなと思います。
結局、私自身も「現在、歌をやっていないか?」っていうと、舞台とかで歌ったり、シンガーとしてLIVEに出たりしてますしね(笑)
出口さんスゴく、キラキラしてますね♪
出口 はい!!
私もまだまだ挑戦中ですよ〜!!笑
若い子達にメッセージと言いつつ、自分自身にも言い聞かせているというか、まだまだチャレンジしたい事がいっぱいあるので。
今後は、今までのように演劇やライブのプロデュースを続けながら、アーティストとしても様々な活動して行きたいですね♪
こんな人と繋がりたい/提供できる価値
出口さんはどういう人と繋がりたいですか?
出口 何かをクリエイトしている人達と繋がりたいです。
広い意味で、モノづくりであったり、価値を創造するような。
自分の視野を拡げてくれる人とか、新しい価値観をくれる人とかですね。
逆に出口さんが提供できる価値ってどんなものがありますか?
出口 やっぱり「伝える」という事が本職なので、演技とかそういう技術的なことだけじゃなくて、私自身の経験や人生から何かを伝えたりする中で、感じ取ってもらえる事はあるかなって思いますね。
前回の交流会でも色々な人と繋がって、今回もこういう機会を頂いたりしたので、既に世界が拡がってきているなって感じています。
面白い人と繋がって、お互いに良い影響を与え合っていければって思いますね。
ありがとうございます!貴重なお話を聞けて楽しかったです。
出口 こちらこそ。
楽しかったです!人生を振り返る良いきっかけにもなりました♪
ここで取材は終了となりました。
出口さん本当にありがとうございました!
人当たりがソフトで、笑顔も雰囲気もチャーミングな出口さん。
すごく気さくに過去の様々な体験を聞かせてくれました。
舞台に出演されている姿を観るだけでは決してわからない、役者としてのバックボーンというか奥深さを直接知れたので、単純に「出口さんが演技をしているところをもっと観てみたい!」という気持ちになりました!
これからの活躍に期待というより、自分の目で観に行きたいと思います♪
出口 裕子(デグチ ユウコ)/役者、シンガー
兵庫県姫路市出身。
ミュージカル「ジプシー」で初舞台。
演出家 篠崎光正氏に師事し、舞台を中心に、映画、TV、CM、ナレーション等の活動をする。
演技メソッド「シノザキシステム」を修得し、ストロボ演技スローモーション等の指導、篠崎氏のアシスタントを務める。
拠点を沖縄に移し、仲間と璃音〜RION〜という無国籍音楽活動ユニットを作って活動。
インヘリット沖縄プロデュース作品 「ナガセアイランド」 「海を越えた挑戦者たち」では役者として出演。
その後、インヘリット沖縄で演出助手を務める。
また各種イベントMCやプロデュース、ブライダル司会者、ラジオパーソナリティーとしても活躍中。
フリー
出口 裕子さんと繋がるには?
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編集後記
インタビュワー:黒瀬 圭 Kei Kurose(株式会社ドリームテラー代表)
出口さんをインタビューさせて頂いて、さらに演劇に興味が深まったのはもちろんなんですが
やっぱり相手の事を深く知れば知る程、人としての魅力にドンドン見えてきて、好きになっていくものなんだなと改めて実感しました。
出口さんは、本当に魅力的な方なので、お芝居を通じてまた色々な面を見せて頂きたいなと思います。